いよいよ決戦のときが来る!
というわけで、今年のパッションカップ初戦がI-85北の巌流島にて開催されます。
実は巌流島というのは正式には船島でして下関市の沖合い250mにある無人島です。
時は慶長17年4月13日といいますから、西暦では1612年で間違いないと思います。
佐々木小次郎の佐々木は後で芝居などで命名されたもので、本当の名前は岩流小次郎だったようで、後に巌流島とつけられようです。
武蔵はここで勝つわけですが、約束の時間に2時間遅れております。それは作戦だったのか下痢が止まらなかったのか、不明です。
実は巌流島の戦いは、1987年10月4日にもアントニオ猪木とマサ斉藤によって行われています。当時、猪木は倍賞美津子との離婚、ブラジルの事業会社の破綻など危機の最中にありました。10月2日に離婚届を出しリングに上がっています。試合には山本小鉄と坂口征二が立会いましたが、猪木は30分立ってリングに現れ2時間4分でTKO猪木の勝利となっています。
実は、今回の巌流島にもマサ斉藤が初出場で最後の出場となりますが、そこには「それ、私じゃないですよ、勘違いしないでください」とDr.Sの名前でお馴染みのデンタフロスSが、今年初ゴルフ?ではないかという情報も流れる中、出ることが決まっており、Dr.S vs Dr.Sの対決も1回限りですが行われることになっています。
つまらない話ですが、グーグルでこれらの情報を検索しましたが、「巌流島の戦い」で検索すると8項目目には私のブログが登場しておりまして、世界的に見てもこの戦いが注目されているのではないかと勝手に勘違いしているのは私だけでしょうか?
さて慶長17年の巌流島の戦いに戻ると、当時の小次郎は長刀使いで有名でありました。武蔵といえば二刀流ですが、この若い時期に二刀流を確立していたかは不明となっています。従って、武蔵が小次郎に勝つために用意したのが、船の艪を削って作成した木刀でした。これが小次郎の長刀よりも長く、かなりの威圧感があったのではないかと思われます。
ここから学ぶものは何か?相手の得意とするものを読み取り、それを圧倒させるものを用意するということではないでしょうか?
サウスポーS小次郎の得意とするものは何なのか? つまらない駄洒落?はてまた突如崩れるドライバー? 急に入らなくなるパター? 精神的な揺さぶりをかけて動揺させるのも面白い。
そしてそれを圧倒させるものを用意せねば勝てぬか?当日の衣装はすでに決めてある。決して派手ではないが、威圧させる衣装を選んだつもりではあるが。武器の1つは明日フェデックスで届くはずである。二刀流にするためにはもう1つの武器が間に合うかどうかの瀬戸際でもある。
私は小細工はしないつもりで、8時には巌流島に到着する予定にはしてある。6時起床、7時前にはステーキカレーライスを食べたんぱく質を体内に蓄積する。プレイ中に何かを食べるつもりはない。
武蔵の明言
「空を道とし、道を空と見る」
道とは武士道を指し、空とは迷いのない心を指します。無欲無心が事を成すという意味です。
「神仏を敬い、神仏を頼らず」
神仏に頼るのではなく、神仏の意に叶う心構え、生活姿勢が大切という意味です。
「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする」
鍛錬とは毎日の積み重ねが大事であると、私は解釈しますがね。
「構えあって、構えなし」
フォームあってフォームなし。だからボールがフックしたりスライスするんじゃよ。
「打ち込む態勢を作るのが先で、剣はそれに従うものだ」
これをどう解釈しよう?
「勝負とは敵を先手先手を打ち負かしていくことであり、構えるということは敵の先手を待つことに他ならない。構えるという後手は邪道なのである」
なかなか意味が深いではないか?
「我、ことにおいて後悔せず」
仮にミスショットをしても後悔せず、次をどう攻めていくかを考え、後に引かないこと。これがゴルフでは大事ではないか?と私は受け取る。こぼれたミルクは飲めない、とデール・カーネギーも書いている。問題は事後処理をどうするかじゃな。
「平常の身体のこなし方を、戦いのときの身のこなし方とし、戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とする」
書いて字のごとし。練習場で打つようにゲームでも打て。常に平常心で打て。
S小次郎殿
当初は一対一の戦いのはず?であったが、お調子者がずいぶん揃いギャラリーがにぎやかになってきておる。このプレッシャーも含めて闘わねばならぬ。覚悟はできておるであろう。では、日曜日に巌流島で待っておる。武蔵は今回は遅れることはない。
申し遅れたが、写真は打ち上げで提供されるメキシカンビールとクラフトビールの詰め合わせじゃよ。なかなか美味いものらしいでの。
実は巌流島というのは正式には船島でして下関市の沖合い250mにある無人島です。
時は慶長17年4月13日といいますから、西暦では1612年で間違いないと思います。
佐々木小次郎の佐々木は後で芝居などで命名されたもので、本当の名前は岩流小次郎だったようで、後に巌流島とつけられようです。
武蔵はここで勝つわけですが、約束の時間に2時間遅れております。それは作戦だったのか下痢が止まらなかったのか、不明です。
実は巌流島の戦いは、1987年10月4日にもアントニオ猪木とマサ斉藤によって行われています。当時、猪木は倍賞美津子との離婚、ブラジルの事業会社の破綻など危機の最中にありました。10月2日に離婚届を出しリングに上がっています。試合には山本小鉄と坂口征二が立会いましたが、猪木は30分立ってリングに現れ2時間4分でTKO猪木の勝利となっています。
実は、今回の巌流島にもマサ斉藤が初出場で最後の出場となりますが、そこには「それ、私じゃないですよ、勘違いしないでください」とDr.Sの名前でお馴染みのデンタフロスSが、今年初ゴルフ?ではないかという情報も流れる中、出ることが決まっており、Dr.S vs Dr.Sの対決も1回限りですが行われることになっています。
つまらない話ですが、グーグルでこれらの情報を検索しましたが、「巌流島の戦い」で検索すると8項目目には私のブログが登場しておりまして、世界的に見てもこの戦いが注目されているのではないかと勝手に勘違いしているのは私だけでしょうか?
さて慶長17年の巌流島の戦いに戻ると、当時の小次郎は長刀使いで有名でありました。武蔵といえば二刀流ですが、この若い時期に二刀流を確立していたかは不明となっています。従って、武蔵が小次郎に勝つために用意したのが、船の艪を削って作成した木刀でした。これが小次郎の長刀よりも長く、かなりの威圧感があったのではないかと思われます。
ここから学ぶものは何か?相手の得意とするものを読み取り、それを圧倒させるものを用意するということではないでしょうか?
サウスポーS小次郎の得意とするものは何なのか? つまらない駄洒落?はてまた突如崩れるドライバー? 急に入らなくなるパター? 精神的な揺さぶりをかけて動揺させるのも面白い。
そしてそれを圧倒させるものを用意せねば勝てぬか?当日の衣装はすでに決めてある。決して派手ではないが、威圧させる衣装を選んだつもりではあるが。武器の1つは明日フェデックスで届くはずである。二刀流にするためにはもう1つの武器が間に合うかどうかの瀬戸際でもある。
私は小細工はしないつもりで、8時には巌流島に到着する予定にはしてある。6時起床、7時前にはステーキカレーライスを食べたんぱく質を体内に蓄積する。プレイ中に何かを食べるつもりはない。
武蔵の明言
「空を道とし、道を空と見る」
道とは武士道を指し、空とは迷いのない心を指します。無欲無心が事を成すという意味です。
「神仏を敬い、神仏を頼らず」
神仏に頼るのではなく、神仏の意に叶う心構え、生活姿勢が大切という意味です。
「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする」
鍛錬とは毎日の積み重ねが大事であると、私は解釈しますがね。
「構えあって、構えなし」
フォームあってフォームなし。だからボールがフックしたりスライスするんじゃよ。
「打ち込む態勢を作るのが先で、剣はそれに従うものだ」
これをどう解釈しよう?
「勝負とは敵を先手先手を打ち負かしていくことであり、構えるということは敵の先手を待つことに他ならない。構えるという後手は邪道なのである」
なかなか意味が深いではないか?
「我、ことにおいて後悔せず」
仮にミスショットをしても後悔せず、次をどう攻めていくかを考え、後に引かないこと。これがゴルフでは大事ではないか?と私は受け取る。こぼれたミルクは飲めない、とデール・カーネギーも書いている。問題は事後処理をどうするかじゃな。
「平常の身体のこなし方を、戦いのときの身のこなし方とし、戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とする」
書いて字のごとし。練習場で打つようにゲームでも打て。常に平常心で打て。
S小次郎殿
当初は一対一の戦いのはず?であったが、お調子者がずいぶん揃いギャラリーがにぎやかになってきておる。このプレッシャーも含めて闘わねばならぬ。覚悟はできておるであろう。では、日曜日に巌流島で待っておる。武蔵は今回は遅れることはない。
申し遅れたが、写真は打ち上げで提供されるメキシカンビールとクラフトビールの詰め合わせじゃよ。なかなか美味いものらしいでの。
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