週末往来! とことんやろう、何事も!

 まあ、何と久しぶりに暇な金曜日でした。売り上げが木曜日よりも低かったのは実に数ヶ月ぶりのことです。何がいったいあったんだ??と思ってしまいますが、反面「あー、鮪を金曜日に買わなくて正解だった」と思ったりもするのです。
 まさに毎日が博打ですからね、水商売は。先週は仕込みが足らず、土曜日の9時半でサーモンと鮪が終わってしまいました。モノがあれば売れる、でもお客さんが来ないと余る。常に予測を立ててオーダーをするものの、うちの店のパターンとして予約が入りだすのは当日なんですよね、だからご飯を炊く量は調整ができるものの、魚に関しては何もできません。そして日曜日は閉めていますから、持ち越しをできるだけ少なくしないといけないですね。そこで「ない頭」を使うわけです。

 今週は2人もお客さんが来まして、1人は壱岐の焼酎屋さん、もう1人は下呂の酒屋さんでした。それでいろいろ思うことがあり、こんなものを書いているのですが、日本が活性化するには地方が伸びていかないといけないんじゃないかと思いましてね。
 そうすると、地方は言うでしょう。「いえ、私たち地方にはお金がないんですよ。それに名前も売れていない。東京や大阪なら皆さん知っていますが、地方の名前なんか知られていません。おまけに過疎が進んでいて大変なんです」と言い訳をするかもしれない。
 たまたまいただいた下呂の観光案内ですが、外国人向けに英語でできています。さらには、ホームページは、韓国語、北京語、広東語、英語、日本語と5つの言語で見れるようになっています。ここまでのハードは出来上がっているわけですね。あとはどう売っていくかなんですが、私が見てふと思ったのはマスコットがない。それで私は厚かましくも、下呂市観光科にメールを送ったんです。本当にこういうのは余計なお世話ですけどね、忙しいなか気になるとやりたくなるので、送りました。

 皆さんが下呂から何を連想しますか?私は蛙なんですよ、ゲロゲーロの蛙ですね。そこから私の発想は始まるのですが、親子の蛙がタオルを頭にのせて温泉に入っているようなイメージのトレードマークのようなものを作ってはいかがですか?とメールを送ったのです。そして関連グッズを作っていく、この焼印の入った饅頭、Tシャツ、下呂市全体が共通のトレードマークを使い観光のシンボルにしていけば、何か盛り上がりがあると思いませんか? そして年に1回、「下呂市主催 蛙レース」を開催する。賭け事は禁止でも、そこを行政と掛け合い、競馬のように賭け事にしてもいい。またお金がダメなら温泉の宿泊券などを賞品にしてもいい。競馬のように名前をつけて、特徴を書き、オッズもつけましょう。それで人が集まり、下呂にお金が落ちればそれでいい。これが盛り上がると、「下呂を目指せ」で地方予選が始まるかもしれない。とにかく下呂という名前が全国に広まり、その中の1%が「じゃあ、今度の旅行は下呂に行こう」と決まればそれでいいし。子供が「お父さん、蛙さんの温泉に行こうよ」と言い出せば大成功だと思いませんか?

 そして、外国人向けには自然を売りましょう。米国に長く住んで思うのは、米人は本当は日本の自然や暖かい心に出会いたいのではないかということです。東京のコスモポリタン的な要素も魅力でしょう。1千年の都である京都や奈良も確かに素晴らしい。でも自然は一番和むんですよね。そして温泉に浸かり、日本の田舎を満喫したいと思うのでしょう。そして本当は英語が通じない場所に行きたいのではないでしょうか? 私自身が1人で旅をして、例えばイタリアに行きイタリア語を話す努力をする、フランスではフランス語を話す努力をするように、米人も日本で片言の日本語でいいからローカルの人と話をしたいんじゃないかと思うのです。通になれば高層の都市型ホテルよりも旅館タイプを好むという話も聴いたことがあります。

 天領酒造の息子に言ったんですよ。「あんたが日本に帰って、2世ばかりの他業種の人とミーティングをして、これからの下呂をどう活性化していくのか、仕掛けないとダメだよ。温泉を中心に酒蔵めぐり、味噌屋さん、など地場で長く続いている産業があり、それをツアーにして外国人に見せたら感動するじゃん。感動を与えなさい、外国人は日本の歴史と文化を知りたいんだよ」という風なことを言ったんですよ。

 日本ではどんどん歴史のある産業がなくなっています。日本酒の歴史はかなりあり、長い酒蔵は400年以上も続いていますが、酒蔵の数は2000から1600にまで減ってきています。ワシントン条約の「絶滅危惧種」ではありませんが、日本の歴史ある産業は絶滅する運命にあるのです。米国では日本食ブームに乗り日本酒の売り上げは伸びていますが、それでも全アルコールに占める割合は1%にも満たない状況です。ただ今後も注目を浴びていくのは間違いありません。
 そして200年しか歴史のない国の人が、何百年も続いている日本の文化に感銘し、それを愛しているのは事実です。一方、日本国内においては、米国を中心とした欧米文化の侵食を受け、日本の伝統文化は影を潜め、表舞台から去ろうとしています。これって、何かおかしいでしょう?

 その責任はどこにあるのか? 「いやあ、ブームが去ってしまったんでねえ」と他に責任転嫁をする。結局、他人が作った土俵の上で相撲をするからブームが終わればそれで終わって衰退するしかないのです。自分で土俵を作り、きちんと基礎から作っていけば、ブームが去っても生き残っていけます。2000あった酒蔵の中の400は他人の土俵で相撲を取り、恐竜になってしまったのでしょう。変化に対応できなかった恐竜は滅ぶしかない。寒ければ火を炊けばいい、コート着ればいい、冬眠すればいい。冬に対応するにもいろいろな方法があるわけです。ただ恐竜は温暖な気候でしか適応でいなかったということですね。

 レストランのメニュー1つ取っても同じことです。売れてるアイテムがあるとします。そのアイテムを飽きさせずに長続きさせるにはいろいろ変えていかないといけないわけです。それはロングセラーに共通して言えることですね。コカコーラの缶のデザインはシーズンで変わりますね、シーズンや時代の流れに沿って、変えていかないといけない、そうしないと古臭く見えるからでしょう。
 日本は2000年以上の歴史があり、外国人が羨むほどの素晴らしい文化があるにもかかわらず、それを継承する人が、その歴史の上に安堵し、頑なに変化を拒み、変化に対応していかないから潰れてしまうわけです。もちろん、頑なに守り続けるものもあるでしょう。それで安定して永続するのであれば、何の問題もありません。ただ、時代は常に変化を求めていますから、どれだけ適応能力があるかという問題だと思います。

 産業の空洞化と言われ、米国同様に製造業がコスト安を求めてどんどん人件費の安い国に移転し、日本国内から製造業が消えるのではないかと言われていますが、日本の伝統産業は日本人の手で日本国内で守っていかないといけないわけです。
 大相撲を見れば分かるでしょう。すでに日本人の相撲ではなくなってしまった。今の若い人はあんな辛い修行をしてまで稽古をしなくなった。相撲界も変わっていかないと将来はないかも知れません。

 結局、私がここ最近書いてきたことで「日本の将来はどうあるべきなのか」という問題の答えはドイツにあるんじゃないかということになります。
 先進国の中で、成熟しながら優等生を維持しています。もちろん、国内には東を合併したあとの後遺症は残り、極右が勢力を増し、移民問題も抱えているでしょう。ただ、マイスター制度など、しっかり自国の伝統文化を継承するシステムが出来上がっています。日本よ、ドイツに学べ。それが答えだったんじゃないでしょうか? ゾーリンゲンの刃物は素晴らしい。ドイツには誇れるものが沢山あるんじゃないですかね、そして日本にも誇れるものが沢山あり、それを次世代に伝えていかないといけないのです。今なら、まだ間に合うと思います。

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