これも日経ビジネスから 挑戦を奨励し失敗を許す

 加賀電子の会長の話です。
 大手電機メーカーは意思決定のスピードが遅いから台湾や韓国に負けた。需要が伸びている業界は何処なのか、世界のどんな地域にビジネスチャンスがあるのか、常にアンテナを張り巡らしておく必要がある。
 そのうえで新しく生まれる需要をいち早く取り込めば、厳しい経営環境の中でも発展することができる。
 どうすれば新しい需要をキャッチできるのか。その答えは社員の挑戦を奨励し、失敗を許すこと。社員が手を上げた新規事業にはノーと言わない。
とあります。


 私がどうして寿司屋を経営していると思います?それは寿司が伸びると思ったからです。
 それは1995年のことです。アメリカに来た年でした。私は神戸ステーキ(Sandy Springs)で月給1200ドルの皿洗いからスタートし、バスボーイをこなし、フロントにいました。
 3月のSt. Patrick Dayの日に、あのモールではIrish Pubがあるので、人が山ほど来るのです。そこで店の前で何か売ろうということで、店の中では売っていない寿司を売ることにしました。これが実によく売れたんですね。
 それで私は思ったわけです。「寿司は今後ますます伸びる。寿司を覚えておけば、食うに困らないだろう」とね。
 そして神戸ステーキをやめて梅園に入ったのです。まあ、ここでは山形さんと合わなくて、1ヶ月で辞めてくれと言われましたけどね。
 その後、サントリーレストランでウェイターをしていましたが、元そこにいた小杉さんが店を開けるというので、面接に行きました。これが実質私の寿司人生の始まりです。
 そのSOTOという店は一時は随分、繁盛しましてね。2006年に彼が閉店しNYCに移った後のお客さんの一部は私が引き継いでいます。
 もちろん、サントリーでもウェイターしながら、たまにキッチンも手伝いましたよ。調理長に天ぷらの揚げ方などを学びました。
 天ぷら粉を混ぜすぎると、グルテンが出て美味しくなくなるといわれたのをよく覚えています。たまたまキッチンに人がいなかったので、私が手を上げただけですが、こうして無料で才能のある人から料理を学べたわけです。

 人生、こんなものなのです。2002年に店を開けて、お陰様で繁盛しています。メディアの評判もまあまあでアトランタを代表する店の1つに数えられています。
 11月にはSUSHIANDPASSIONという寿司のバイブル本が出る予定になっています。これって面白いと思いませんか?素人が寿司始めて早18年、アメリカでそれも英語で寿司の本を出す。

これがアメリカの寛容さじゃないですかね。仮に日本で同じことしてもそこまではいかなかったと思いますよ。

 もちろん、これまで数多くの失敗もしてきました。授業料は全部で2-3千万円払いましたかね。でも、今成功してそれ以上のお金を稼いでいるなら安い授業料だったといえますよね。
 失敗したから成功したんですね。だから成功するためには失敗しないといけない。そして常に挑戦し続けなければらないのです。




 

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