今日のニュースから 1月31日(木)

 こんなメールがたまに来ます。詐欺ですけどね。
Hello
I'm sorry for this odd request because it might get to you too urgent but it's because of the situation of things right now, I'm stuck in Zurich Switzerland with Family right now, we came down here on holiday we were robbed, The situation seems worse as bags,cash,credit cards and mobile phone were stolen at GUN POINT, It's such a crazy experience for us, we need help flying back home, the authorities are not being 100% supportive but the good thing is that we still have our passport but don't have enough money to get our flight ticket back home, please i need you to loan me some money, I will reimburse you right as soon as I'm back home. I promise
Thanks in Advance
Beth
まだ、こんなのは可愛い方です。よくアフリカで宝くじに当たってその分け前をしたいというのも来ますね。
 
 スーパーゼネコン5社のうち、唯一非上場の竹中工務店が33年ぶりの社長交代を発表しました。新社長の宮下正裕現副社長は、1610年の創業以来、403年目にして初めての、創業家以外からの社長となる(就任は3月28日の総会後)。宮下氏は入社以来、開発計画畑一筋に歩んできた人物で、70歳の竹中統一現社長から4歳若返る。竹中現社長は代表権のある会長に就任し、渡邊暉生副社長は同じく副会長になる。事務系、海外畑が得意な竹中会長、現場主義の渡邊副会長、開発の宮下社長と、「バランスのとれた布陣になったと思う。ほっとした」と竹中社長は語っています。
 
 TAKAに続けではありませんが、島田紳助がワイキキ、アラモアナ地区にコンドを購入しました。広さ100平方メートル超、2BR、2BATH、プールやテニスコートまである超高級物件です。
「実はこのコンドは、半年ほど前に水道管の不備で住民の一部から訴訟を起こされたんです。そのため、しばらく買い手がつかなかったんですけど、紳助さんはその物件に目を付け、1000万~2000万円ほどまけさせて、約5000万円で購入しました」(地元の不動産業者)
 そんないわく付きの物件を購入したのも、紳助ならではの読みがあったからだという。
「実はこの辺りは新しいコンドが次々と建ちはじめている人気上昇中の地域なんです。紳助さんが買った物件も、水道管さえ修繕すれば何の問題もなく、数年後には、その価格は1億円以上になるといわれている超優良物件なんですよ」との話。
 
 中国東部で深刻化している大気汚染が、日本にも影響を及ぼすことに懸念が出ています。中国では今年に入り、北京市などで汚染物質を含んだスモッグに覆われる日が続き、体調を崩す住民が急増。飛来したとみられる汚染物質が日本でも確認され、西日本の一部では基準値を超える汚染物質が観測されています。
写真これ大気汚染です。見えないでしょう? やばいですよね。
 懸念されているのは、大気汚染物質の一つで、直径2・5マイクロ・メートル(1マイクロは100万分の1)以下の微粒子状物質「PM2・5」。吸い込むと肺の奥まで入り込み、肺がんなど呼吸器や循環器の疾患の原因になる可能性があります。
 おいおい待てよ! 基準値以下でも長く吸えば危ないんじゃないの?ですよね。アメリカまで飛来しているという報道もあります。風邪は西から東に主に吹いていますから、来ても不思議はないんですね。
 
 オバマ大統領は、移民制度改革案に対する共和党の不満を一蹴し、上半期とはいかなくても年内には合意に到達できると考えていると述べました。
大統領は、2つのスペイン語テレビ局とのインタビューに応じ、1100万人の不法移民に市民権獲得の道を拓く提案に理解を求めましたが、超党派の上院議員らが独自に改革案を提示しています。
 大統領はテレムンドに「これが実現するよう期待している。そのために多くの月を要するべきではないと思う。確実に年内に実現すべきであり、より早期に、できれば上半期に実現したい」と述べました。
さらに、もし議会で(審議が)遅延すれば「法律の草案も説明も」用意してあると述べた。
大統領は自らの主義を説明。不法移民に対し、国家安全保障と犯罪歴の調査を受けることや罰金の支払い、英語学習、および他の外国同様の合法的な移民手続きにより、市民権獲得の道を拓くことを提唱しています。このままいけば多くのヒスパニックが合法移民になるわけですね。さすがアメリカ、この大胆な措置はすごいと思いますよ。ただ、どうなんでしょうね。

CNNは、北朝鮮の3度目の核実験について、複数の米政府高官が北朝鮮はすでに準備を整えており、実施は「近い」と話したと報じました。
 政府高官は北朝鮮が「間違いなく核兵器を試すだろう」と述べましたが、地下実験を偵察衛星で確認するのは困難で、「最終準備を確認できない」と指摘したそうです。
 本当にいい迷惑なんですよね、隣国ですからね、何かあって日本が核汚染でもされたらだれが責任取るんですか? あんな馬鹿孫では取れないですよ。

 この前読んだ記事がありまして、ネバダの核実験場ですけどね。
ベガスの北115キロにあるそうです。
そしてセントジョージの住民がたくさん死んでいるんですね。本文は以下です。
 アメリカ、ネバダ核実験場から西へ120マイル(200キロ弱)にあるユタ州セント・ジョージ市は“運悪く”、核実験場の風下に位置していた。
 この町の住民のほとんどは酒もタバコもやらない敬虔なモルモン教徒のひとたちである。元来、病気とは無縁であった。それが、1965年頃から白血病や肺癌などが多発し、流産や奇形児の誕生が相次いだ。
 ネバダ核実験場では、1951年から1992年までに928回の核実験が行われた。そのうち100回は大気圏内で、828回が地下核実験として実施された。核実験は風が北か、北東に向かって吹いている時に限定して行われた。実験場の背後にはラスベガスなどの大都市が控えていたためである。実験場の北および北東の地域にはユタ州の他に、ネバダ州、アリゾナ州などがあり、先住民が多く暮らしていたが、少数民族の彼らは存在自体が無視された。ユタ州南部の住民たちには、アメリカ原子力委員会が作成したパンフ『ネバダ実験場周辺地域における原爆実験の影響』が配布され、「核実験は国家の戦力を強化し、より良い市民防衛である」として、住民たちの愛国心を刺激した。最初の核実験(1951年)以降、風下住民の間に奇妙な病気が広がり始め、1965年頃からそれが急増していった。
ここで生まれ育ったデニス・ネルソンという人が原水爆禁止世界大会で証言していますが、それが以下です。
「私は、冷戦のさなか、アメリカ・ユタ州のセント・ジョージ市で育ちました。当時は、冷戦があまりに激しかったため、道徳や正しい行為など問題にもされませんでした。普通の人々の命は、たとえ少しくらい犠牲者を出そうと「国家の安全」や「自由」という作り話を守ることの重要性に比べたら、全く意味のないものと考えられていました。ネバダ核実験場の風下にあるユタ州南部とネバダ地方には「ほどんど人の住んでいない地方」というレッテルがはられ、そうした政府の声明によって、少なくとも2万人の人々が目にみえない、無視してもかまわない存在とされたのです。このなかには私の家族も含まれていました。
私の子ども時代に、後に「死の灰の町」として知られるようになるセント・ジョージ市の西120マイル(200キロ弱)の地点で約200発の核爆弾が実験されました。風は私たちの町の方向に向かって吹くことが多く、ある時、特別やっかいな爆弾が、計画していたよりも「激しく爆発」してしまった時には、原子力委員会のある役人は、もし実験の当日に雨が降っていれば、その影響でセント・ジョージ市の住民の半分が死んでいただろうと後になってから言いました。たしかに、あの日、私たちは幸運に恵まれました。速やかに死ぬ代わりに、ゆっくりと死ぬことになったのですから。1950年代になると、あまり大騒ぎにはなりませんでしたが、一人また一人と、死者が出るようになり、それが今日もなお続いています。世界はユタ州の小さな町で何が起きているか知ることはありませんでした。この小さな町の人々は、放射線を浴びてからというもの、放射線実験に組み込まれ、知らないうちに、世界中で用いられることになる放射線の遮蔽基準を設定することに貢献させられていたのです。」

「1945年7月16日にニューメキシコの美しい砂漠地帯で始められ、現在も進行中の核戦争は、私の母と父と末の妹の命を奪いました。この戦争は今もなお日々、犠牲者を生みつづけています。アメリカ先住民の部族のなかには、ウラン鉱山で働く人々がいて、肺から血を流しています。カザフスタンでは、家族を失って悲嘆に暮れる女たちがいます。イラクでは奇形児が生まれ、キエフでは被曝して髪がすっかり抜けてしまった子供たちがいます。世界で最高水準の病院でさえも、放射線被曝が原因の癌を治療しようとしても、すでに死にかけた患者たちにいっそうの痛みと苦しみを与えることしかできないのです。

私の父は、62歳のときに肺ガンと骨肉腫で死にました。母は、47歳のときに脳腫瘍で亡くなりました。妹は、40歳で直腸ガンで死にました。弟は19歳のときにリンパ腫を患い、ほかにも家族のなかには、膀胱ガン、皮膚ガン、甲状腺の病気にかかった者がいます
。父は、私たちの家から120マイル(200キロ弱)のところで原子爆弾が爆発していることを知っていました。しかし、12年間でネバダで1000発近くが爆発し、その死の灰が私たちの屋根や果樹園や野菜畑や外に干した洗濯物に降りかかることになるとは思っていませんでした。死の灰は、家のなかや車のなかや、食べ物にまで入りこんできました。私たちが使う水や、牛が食む牧草や、私たちの飲むしぼりたてのミルクにも入りこみました。父は、それによって自分自身や妻や末娘が死ぬことになるとは知りませんでした。残された家族がその後ずっと、手術や治療や薬物療法を受け続けることになるとは知りませんでした。それは、戦争を煽る秘密でした。この秘密によって、「冷戦」の火は燃えつづけたのです。これによって、世界大戦終結後も、軍需品製造で莫大な利益をあげ、富める者は、さらに裕福になったのです。「冷戦」は、実際にはきわめて熱い戦争だったのです。
私の住んでいた町はそれほど大きくなく、約5000人の女性、男性、子供が住んでいました。無防備で、シェルターに囲まれていたわけでもなく、しのびよる破壊的な攻撃に関する警告もされませんでした。私たちは、道を誤った科学の犠牲者でした。大量殺戮兵器を製造することで生命を救い「安全」を強化できると思い込んでいる狂人たちの犠牲者でした。現代の核の戦場によって被害を受けたり、汚染された犠牲者を追悼する記念碑は一つもありません。何千人もの女性が乳房を失い、何千人もの男性が自律呼吸機能を失い、何百万人もの子供たちが屈託のない幸せな子供時代を奪われたのです。私の子供たちの生まれる前に、祖父母は亡くなってしまいました。子供たちは、自分たちの愛する人や知人が不治の病気にかかったという知らせに慣れてしまいました。子供たちは生き残った犠牲者でもあります。私たちは彼らのことを認め、尊重し、援助する必要があります。彼らに、過去何が起きたのかをよく教えなければなりません。過ぎ去った日々の美しい記憶を分かち合うだけでなく、全人類に大きな影響を及ぼした不幸な歴史的事実も教える必要があるのです。そうしなければ、必ずまた同じことが繰り返されるでしょう。」

地下実験の跡の陥没です。
北朝鮮も地下核実験ですが、それだってやがて一部は地上に洩れてくるに決まっていますからね、それが日本に来る可能性もないことはないわけでしょう。


最後に天気予報です。一気に寒くなりました。体調維持が大変です。2日前いや昨日までは半袖でもOKだった。今日はコートが必要です。
7 Day Forecast

東京近郊の深酒注意報はやはり当たっていたようです。人間、正直ですね。Iパパ、アトランタにいてもパパのうれしそうな笑顔はよーく見えるということです。週末は箱根ですか?天気予報ですか?
http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/14/4620/14382/2500521.html
これで調べてください。摂氏2度ですからかなり寒いようです。


 

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