今日の出来事から 5月27日(金) すでに道路はガラガラ!

 メモリアルデーの週末です。今日から4連休、または1週間の休みを取る人もいるでしょう。すでに幹線道路は空いています。
 昨日は、パティオにもお客さんが入り、結構大変でした。ランチも大変、キッチンの、メキシコ人が2人来なかったのです。どうも前の日の晩に、床のタイルが汚いと指摘して、それが帰りがけだったことから腹を立て、辞めたようですが、そういうのは排除で良いのです。そういうところでは、妥協はしません。これまで現金払いで雇ってきてこの対応ですからね。さっそく、夜には違うメキシコ人のコネを使い、1人採用しました。まだ純粋なメキシコ人なので、使えそうです。
 問題は、来週からのランチですが、何とか皿洗いだけでも見つけて、対応できればと思います。そういう中、昨日は4日で最高の売り上げを記録しまして、お客さんのこの店に対する興味深さを感じました。

 オバマ米大統領は27日、現職大統領として初めて広島を訪問し、原爆慰霊碑に献花しました。中国の王毅外相は、一部メディアに対し、「広島は注目を払うに値するが、南京は更に忘れるべきではない」と述べまし 旧日本軍によるいわゆる「南京事件」を指す発言とみられ、日本が「戦争加害者」であることを改めて印象づける狙いがあります。王氏は「被害者は同情に値するが、加害者は永遠に自分の責任を回避することはできない」とも述べています。

 若い時から果物をたくさん食べよう果物で乳がん予防?
 乳がんを防ぐのに、思春期にリンゴ、バナナ、ブドウなどの果物をたくさん食べると効果があることがわかっています。
 思春期に果物をたくさん食べた人ほど乳がんのリスクが低く具体的には、リンゴ、バナナ、ブドウの摂取が特に関連が強く、1日に3皿分を食べると、0.5皿以下しか食べない人に比べ、中年期に乳がんになるリスクが25%低下するという結果ですが、フルーツジュースでは効果はなかったそうです。
 これには食物繊維がかかわっていて、食物繊維は、乳がんの原因となる女性ホルモンのエストロゲン値を下げ、発がん物質を減らす作用があります。女性の乳房は思春期に発達することから、成長期にフルーツをたくさん食べることが良いようです。 J-Castにありました。

  5月26日、米疾病管理予防センターは、知られている抗生物質すべてに耐性を示す細菌への国内初の感染症例を報告した。写真はプラスミド上のコリスチン耐性遺伝子であるmcr─1を有する大腸菌。CDC提供写真(2016年 ロイター)スーパー耐性菌?
 CDCは、知られている抗生物質すべてに耐性を示す細菌への国内初の感染症例を報告し、この「スーパー耐性菌」が広がれば、深刻な危険をもたらしかねないと重大な懸念を示しました。
 私は、将来こういうわけの分らない菌などがまん延し、人類や動物などを大量に殺害していくのではないかと懸念があります。

 関係ありませんが、サーモンの価格がまた上がるそうです。チリの赤潮でのサーモンの被害からどんどん上がっています。
 ちなみに、あのカリフォルニアのウニはもう、回復見込みがないようです。ウニの食べる海藻が海水温の上昇によって生育しないことが大きな原因です。これによって、ウニの価格も世界中で上がっていくのです。養殖だ、天然だ、と騒いだところで、すべては海の中です。自然の中で育てている以上、こうした影響を受けるのは当たり前のこと。寿司屋に遠い将来があるでしょうか? 工場で、どんどんウニやマグロが作られるような時代になれば話は別ですよ。まあ、10年で天然の魚は少なくなり、価格は上がり、高値になります。
 もちろん、庶民が食べる魚は、チキンのように作られていますから、問題ありませんけどね。それ、食って美味しいと言えるでしょうか???

 たまたまこんな記事が
 ハマチ(ぶり)の養殖が鹿児島で盛んですが、昨年の輸出金額は138億円だったそうです。ブリは日本近海でしか養殖ができないそうで、日本におけるブリ輸出の84%は北米だそうです。その理由は単純で「脂のノリ」です。面白いことに、ハマチは完全養殖ではないのです。4月に稚魚となるモジャコを種子島、屋久島沖まで獲りに行くとか。これを全部漁協が引き取り、いけすで一括集荷し、雑魚選別をしてから生産者に渡して養殖するそうです。週刊ダイヤモンドに出ていました。

 2017 Alfa Romeo Giulia Quadrifoglioいよいよ登場?
 アルファロメオといえば、三角のマスク、独特のフロントですが、ジウリア2017年モデルが登場します。 2.9-liter twin-turbo V-6 making 505 hp and 443 lb-ft of torque.
 価格は約7万ドルです。BMWのMシリーズなどと競合するようです。フェラーリ買えない人は、ロメオの赤で我慢? 昔、日本でも売られていましたが、ポンコツも良いところ、故障ばかりだったようです。

 
場合によっては3時間前に空港に行ってください。ふざけていますよね。

 
 少し気になる熱低低気圧です。
 Atlanta, GA 7-Day Forecast
 これを「Warm」と呼ぶのでしょうか? 「Hot」にすべきでは?

 ジワジワ、売り上げが上がってきています。良い感じです。というのも、まだきちんと対応できないので、急に「グランドオープン」で混んでも困るのです。65席ある店内の7-8割が埋まり、それが回転する、待ちなし、フードがまだ出来上がってもオンタイムに運べるような状態ではないのが問題です。そのあたり、また人を入れて対応するか、検討しながらやっていきたいですね。
 私のすべての料理を丁寧に作るようにしています。時間をかけて、飾りつけもきちんと行い、見た目で魅了すること。
 
 主張を持つことが大事、志摩観光ホテルの高橋調理長の話があります。
生意気だと思われるかもしれませんが、私の料理を食べていただいた客の前には″どうだ、旨いだろう″という姿勢を持って出ていきます。自分の仕事に対する誇りと自信を持ち、志摩の自然とそこに産するいい素材を持つ料理人にとって、調理後にこれほどぴったりくる言葉はないのではないか、と思うのです。
 私の料理を食べにフランスの三ツ星のシェフが何人も賢島に来てくださいました。その時、何人かのシェフが″あなたの作った皿にはパリがあった、フランスをみた″と誉めてくださったのですが、私はその時に私の皿にパリがあっちゃいけない、フランスがあっちゃいけない、これはあくまでも私の料理だ、伊勢志摩の産物で作り上げた賢島、つまり私の料理なのだ、このことを主張しなければだめだ、と思ったのです。
 フランス人の料理人はすべて″我々の料理は、ライバルのない芸術だ″と思っています。つまりフランス料理は、フランスの歴史であり文化であり、芸術である、フランス以外の何ものでもない、ということなのです。私の作る料理は、それに対して、志摩というすばらしい自然の恵みに火を加える、火を加えてより新鮮なものに作り変える。すべてを一度ぶち壊して作り変え、そして自然の旨さというものを追求する。それが私の料理であり、だから私の皿にフランスがあってはいけないのです。ではお前はなぜ日本料理を作らないのか、と思われる方もありましょう。私は、日本を含めた東洋、フランスを含めた西洋、その違いをふまえながら、フランス料理の方法に魅力を感じるのです。伊勢エビは火を加えても伊勢エビ以上になり得るんだ、そうしてみせるんだという願い、あこがれを持って、一皿に驚きと喜びを盛りたいと思っています。
 そのために私は黒潮と親潮に目を向け、海に大きな魅力を感じながら魚を追いかけているのです。料理とはそんなにむずかしいものか、これもよく私は質問されます。むずかしいのです。ひとつの物事を追いかけていけば立派な学問になり、技術とか技能とかいうものは立派な芸術、美になります。それが時代を経ればひとつの文化になるのです。じゃあ料理人は芸術家なのか、文化人なのか。私はそんな大それたことを申し上げているのではなく、料理人の世界に生きるなら、言葉をひっくり返して世界の料理人にならなくてはならない、そうして料理を追求するにも、もっとしたたかな追求の仕方があるのではないか、といってるのです。例えば一枚の絵を見て感動したとして、百科事典を聞きかじってしか感動できないのでは料理人として失格だ、その絵からひとつの歴史、文化といった系統だった見方のできるしたたかな視点を持った料理人にならなくてはいけない、と申し上げているのです。
 料理しかできないといういい方がありますが、これは大変なことです。世の中には何もできなくてものさばっている人間がたくさんいるのです。料理というものは割烹だけでない。古代ケルト人が火をともした時、まず灯りとして、そして暖かさを、三つめに食べるという願いを込めて火をともしたはずです。食べる、ということには立派な歴史があり、フランス料理を分るということは、その歴史、風土、文化が分り、美意識が分るということなのです。
私は15歳で調理場に入りまして29歳で料理長をさせていただきました。私にもし人と違うものがあるとすれば、人との出会い、客との出会いがあったということだと思います。一皿を主張することによって客の言葉を引き出し、その中からもっと旨いものを作る気持を生み出しました。そうした意味で師匠は私にとっては客であり、稽古も客だと思っております。そして私の主張する料理を客にお出しするために、誰よりも多くストーブの前に立ち、誰よりも多く包丁を握り、ひとつの料理を完成するために、いく度となくテストを試みます。バイブルといわれるエスコフィエのAからZまでの料理の試作をやり通します。そうしたことの中から初めて即興が描け、主張する料理が作れるのです。
 画家や作曲家など芸術家の多くが主張できるのになぜ料理人が主張してはいけないのか。医食同源という言葉がありますが、食べるということは人間の心と体を作るみなもとなのに。そうある方にお話したら、料理は心に残る芸術だ、と答えてくれました。フランスのある人の言葉に「お前の人生にとって何が一番幸福かと問いかけたら、みんな食べる場面にぶつかった」というのがありましたが、食べることの大切さということをもっと認識してもいいのではなかろうか、と思います。料理人である私は、いかに客に喜びと驚きを与えられるのか、ということを追求し、主張します。それがない料理は単なる食べ物にすぎない。私は自分が作る料理は絶対に旨い、と思っているし、まずいと思う客が悪いという自負を持って仕事をしています。それがまた料理長の使命でもあるのです。まず旨いものを作る。そして、売れるものを作る、それによって儲ける。そのためにも作ることに喜びのある職場にする。生きがいのある職場で生まれた料理でないとだめだ、ということだと思うのです。私は必ずホテルにいます。それが、わざわざ志摩に来ていただいた客に対する、最低限の努めだ、と思っております。
 私にトマトクリームスープ、クリームコーンスープを食べさせてほしい、という客がいました。もちろん私は断わりました。あなたが志摩に来る途中にトウモロコシの畑が眼に入ったか、入らないものを作っちゃいけない、作れないのです。せっかくここまで来たのなら私の作った料理を食べていってくれ、と私は申し上げるのです。作りたいものを作るというのは料理人の主張です。好きな料理、作れる料理しか作らない。逆にいえば、これは私にしか作れない料理なのだ、という主張なのです。
 私があまり志摩の料理ということを主張しますと、お前は何故フランス料理を作っているのにフランスに修業に行かないのか、といわれます。行くにこしたことはないけど、行かなくたっていいじゃないか、いや、行かなくても勉強の仕方、時間の使い方はあると思うのです。たとえばフランスに勉強に行って帰って来てすばらしい絵を描く画家もいます。でも、フランスに行かなくとも、たとえばあの″海の幸″を描いた青木繁のようにすばらしい画家がいるじゃないか、と思うのです。天然、自然の法則を忠実に守るというフランス料理の調理原則、そしてフランス人的な考え方が好きなのです。その方法を見すえながら、次の時代にも主張し得るものを生み出すことに全力をあげていきたい、と思ってます。
 主張することを持つ生き方、それを一皿を通じて客に提供すること、このことはとても大切なことだと思うのです。

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