皮肉 7月8日(金)

 Ocho de Julio (Viernes)

 

67歳で人生を終えたか。皮肉ですよ、世界でもまれにみる銃規制のある国で、元総理が簡単に銃で殺害されたということです。本当に何が起こるか分からない人生。総理やめたら議員も辞めて、のんびりと余生を過ごす、そんな選択肢が今後はあっても良いのでは? よく評論家とかが国会議員になり、その異常な世界に嫌気が刺して、一期で再立候補しない人が多いわけですが、安倍家のように政治家が世襲化し、家業になる家族もたくさんいます。たぶん、息子さんが立候補して当選し、家業を継いでいくのでしょう。これもまた皮肉かと。

ジェームス・カーンも死去。映画好きなら知っている俳優かと。脇役が多く、少し悪の役が多かったように思います。





レストラン業界もひどいが、自動車業界もかなりひどい。昨日は会社の車がメンテのサインが出ていたので、トヨタのディーラーに持っていきましたが、良いエンジンオイルなのであと5千マイルはOKでオイル交換は要らない、それでも毎回5千マイルでメンテのサインは点灯するように作られていると言うわけです。ではタイヤのローテーションだけやろうとなり、小一時間かと思いきや2倍の2時間余りかかりました。人がいないのでしょう。まあ飽きれて物も言えない、しかし「同じことがどこでも起きている=人手不足」と思い、笑って済ませましたよ。

 それで空き時間で車を見ていたのです、そしてショールームの中に入り、ロシア系のセールスと話をしていましたが、とにかく在庫がない。プリウスなんて何もない。2年で5台入ってきた程度でしかないそうですよ。シエナも在庫が一切ない。とにかく半導体不足で車が作れていないわけです。「これが欲しい」ではなく、「そこにあるものから買えよ」の世界になっています。新車がこんな状態だから。中古車の値段が落ちないわけです。このままいくと12月のリース切れでも、状態は改善されず、希望の車は買えないから、今のハイランダーを買い取るのが簡単かと。それで訊いたらリース後に買い取ると2万5千ドルだそうです。私はこの車を結構気に入っているので、そのまま乗り続けるのが、一番経費もかからないし、良いのではないか。確か新車価格は4万2千ドルでした。6千ドルの頭金入れて3年のリースでした。毎月の支払いは310ドル、ということは3年で1万1160ドルを払う計算です。+6千ドルで$17160です。まだ2700マイルしか走っていません。ハワイに行くまでの間はこれで良いかと。

CNBCでも一面に出ています。手製の銃とありましたが、簡単に銃ができるのですね。それも1つの驚きです。元自衛官だからできたのか、趣味でやっている人は作れるのか、3Dプリンターがあればできるのか。


 コロナの数字、日本は3倍? アメリカも増えています。11万人です、そして600人が亡くなっています、これは倍増です。元CDCの幹部で今はエモリーで教えている先生はいまだにマスクをして外に座っています。その息子夫妻もどんなに暑くてもマスクして外に座ります、ということはコロナは永遠に終わらない? 私の中では「風邪」扱いになっていますが、罹ってはいけないものなのでしょう。

予想よりも少し下げています。これは良いこと。昨日もパティオを使いました。明日は90度、日曜日は86度です。

来週の日曜日も感じが良く、最低気温が70度以下の68度で、上が87度という予報になっています。場合によっては季節がずれているので、もう夏は終わり?みたいな奇怪なことにならないか? 我が家ではアジサイが咲いたままです。でも、もう7月の半ばです。何かがズレていて、地球がおかしいのは認知していますから、こういう発想で「8月はもう秋なんだ」と思っても不思議ではないでしょう。

 昨日も満員御礼でした。木曜日は確実に忙しいのがわかっていますから、多めに人を配置しています。ご飯も週末並みに炊いて、それプラスのものを用意していましたが、これも終わり、2回目の追い炊きをしました、それでもぎりぎりでした。ランチ閉めても関係なく利益が取れそうです。というのも巻物が実に多い。これは収益上、大事なことです。昨日はおまかせも2件同時進行で、私はかなり疲れていました。それで帰宅すると安倍さんの事件でこれまたニュースを見ていたわけです。

「一寸先は闇」という言葉があります。将来のことは、ほんのわずか先のことですら、全くわからないということ。これだけの銃社会でも、私はアメリカが危険で住みづらいと思ったことはありません。その住む場所によるからです。逆にどこに行っても安全なような日本の’方が、突拍子もない事件が最近、増えて危険だと感じることもありますね。

一寸先は闇 三分先は光」という続きのある言葉もあります。わずか先に大きなが待っているかもしれない、ゆえに注意を怠らないようにという戒めの意味が込められていることわざである。 それに対して「三分先は光」は、もし今に包まれているとしてもすぐには明るいがある、希望が待っているとする言葉である。

 まあいろいろ取り方があるようです。「一寸先は光」と言い換える人もいるのです。闇があるなら照らしたら良いだけです。より慎重に行動することで解決できます。いずれにしても「今を精一杯生きること」ですね。そこで未来も拓けるというものです。皆さん、良い週末を! 

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