すべては「疑ってみる」ことから始まるのではないか?

 人を信じますか?、毎日流れる報道を信じますか?、店で売られているものを信じますか? 神を信じますか?

 私はビジネスに関しては疑り深くなりました。人に任せ信じることは大切ですが、信じ切ることは怖いことです。 すべて自分に降りかかってきますからね。特にアメリカにおいては、人を蹴落として這い上がるような国ですから(これが国際ビジネスの常道なのかも知れませんが)、信じるのは自分だけにする人が多いように思います。
 まずは疑うことから物事が始まるのではないかということです。 例えば魚の鮮度。 通常3-4日OKとします。ところがこれを信じてよいものか?とんでもない、状況は常に変わりますから自分の目で見ないといけない。まず、その魚が入ってきた状態から持ちが違ってきますね、そして置かれた状態でも持ちが違います。そういういろいろなところから判断して2日で捨てる場合もあれば、逆に5日持つ場合もあります。一概に3-4日と言えないのです。だから疑わないといけない。
 何か不味いものを出した場合もそうです。 かならず原因を追究するようにしますが、その当事者に聞いても「はい、私が悪かったです」とはアメリカではなかなか聞くことはありません。メキシコ人がまずそう、そしてアジア人も「はいすみません」と謝るようなことはしません。これは「負けを認めることは良くない」という国民性でしょうか? 日本人はすぐに謝ります、私も大抵すぐに謝ります。 負けるが勝ちだと思うからですね。後を引きたくないということもありますが。
 店が暇なときも「あー暇だねえ」ではなく「なんで暇なんだ?」と疑う、そして原因を追究していかないといけない。何か過去にミスがあったのか、悪い噂が出ていないだろうか? メニューが汚いかもしれない、、、と小さな原因は山ほどあります。それらが仮に主原因でなくとも、修正することにより安心感が生まれるものです。
 疑うことは、How come?であり、それが解決への第一歩になることでしょう。小さな子供と同じで、「どうして?」の連続です。素朴に疑問を持つことが問題意識を常に持つことになり、人とは違う目でモノを見ることができると思うのです。

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