父から娘への手紙 11通目 正直であること
いよいよ日曜日に再会ですね。2時前にはゴルフ場を出る予定にしています。あとはあなたの行きたいところに行きましょう。アッシー君やりますよ。
さて、「正直であること」は大事です。まずは自分に正直であること。何をするにも2つの目が見ています。それは自分であり、また神様がどこかで見ているものです。
私は単純な思考回路で、比較的人を簡単に信じてしまうので、すぐに騙されてしまいます。過去にこんなことがありました。
店を開けたときにあるパートナーがいました。もちろん、女性でした。会計を彼女に任せていました。私は数字を見るのが嫌いということでね。
ホンダも宗一郎が現場を仕切り、会計は藤沢がやっていましたよね。そういうのもありと思ったからですね。ここがそもそもの間違いでした。
彼女Jは言葉巧みに私を騙していました。まず、毎月の銀行のステートメントですが、「チェックの盗難が多いので開けないよう。Jが銀行に行って、その前で開けるから」と言っていました。私はそれをしばらく信じていました。
ところがあるときにそれを開けてみると、私の知らない支出があるのです。携帯電話の馬鹿高い請求書とかね。そして問い詰めると「あー、何かの間違いだ」とか言い張りましたね。
それがエスカレートして、不正が沢山あったのでパートナー解消になりましたが、ジョージア政府に売上税を払うということで私がチェックにサインしたものが他に流用されていました。これが2-3回ありましたね。
あと、店の名義でクレジットカードを作ろうとしたこともありました。これは未然に防ぎました。その過程で私は事件に巻き込まれ、店を3ヶ月ほど離れていましたが、その期間の家賃は一切払わず、売り上げ税も払わず、公共料金も払っていない状態でした。おまけにベガスの弁護士に4千ドルを払っていました。何が何なのか分からない感じでしたね。
店のすべての名義は私なのです。すべては私が被らないといけない、結局は大家さんと話をして、店の鍵をもらい、セキュリティ会社に事情を話して、暗証番号を教えてもらって店に入り、鍵を交換してから店を閉めました。そして3週間後に店を再開したのです。
そして未払いのものをすべて払いましたが、当然そんなお金はありませんでした。被害総額は全部で7万ドル近くあったように思いますが。政府の税金を納めないと翌年のアルコールライセンスが更新できません。そういうことで友人からお金を借り、確か2人に4万ドルを借りたと思いますが、借金をすべて清算しました。
お客さんにも相談に行きましたよ。私のことを心配してくれたユダヤ人の富豪ですけどね。彼のところには、こんな感じでもしもお金がショートしたらお願いしますと言い、了承してくれました。
ただし、結果的にはお金を借りることはありませんでした。それがまた彼の信用を得たとも私は判断しています。
彼は私の復帰を祝い、友人ら20人を店に呼んでパーティをしてくれましたね。確か2千ドルぐらいを使ってくれたと思います。
子供の学校の寄付集めのホーム・パーティでも、私に料理を依頼し、労賃だけで800ドル近く頂いたこともあります。後にも先にもこれ以上のお客さんはいません。今はコネチカットに移りましたが、それでもアトランタにビジネスで来るときには必ず寄ってくれ、私の店にお金を落としてくれるのです。奥さんと共に私が1週間に1回出す英語のNewsletterを必ず読んでくれています。このすべては正直であったからだと思いませんか?
さてJが使っていた巧みな手口とは?
1)自分が病気であると言い、その治療でDCの医者に行くので仕事が1週間できないと言ったことがありました。病気ではありませんでした。仮病で単にどこかで遊んでいたのです。
2)自分はケネディ家と交流がある。かつてABCにいてリポーターをしていた。またバンカーであった時期もあると言っていましたが、何の証拠もありませんでした。口は立ちますよ、抜群にね。だから騙されるのです。
3)よく遅刻していましたが、そ都度、「GA400が渋滞でね」と言い訳。時間を1時間も間違えたこともあり、それでも自分がそれを正しいと主張していました。
4)パートナー解消後に聞いた話ですが、自分がガンであるといい、その治療のために毛が抜けていることを示すために頭の毛を剃っていた時期もあるそうです。その理由は?回りの人の同情を買うためですうよね。そこまでやるのかと思いました。
5)身に着けるものはすべて一流でした。ルイヴィトンのサンダルを初めて見ました。車はすべてベンツでした。でもそのベンツ、バンパーが事故か何かで凹んだままでした。それを何年も乗っていました。私にレクサスのLXをプレゼントするとも言っていました。私は断りましたけどね。人は外見や身に着けるもの、乗っている車で簡単に騙されるということを熟知しているんでしょうね。そのくせ、600ドルの個人チェックがバウンスしたこともあります。本当はお金ないのに見せるわけです。
まあ、この人の場合は完全なる人格障害だと思いましたね。これまでそういう言葉すら知らなかったのですが、ネットでしばらく勉強しましたよ。
恐ろしいのは、嘘をついてもそれを自分で嘘だと思っていないことです。すでに自覚症状がないのです。だから、病気なのです。
回りの人は最初のころは信じていたと思いますよ。でもだんだんおかしいことに気づくのです。そして「あー、また始まった」程度にしか受け止めません。
話が少し逸れましたが、正直を語るということは「嘘」を語ることでもあるんでね、そこは分かると思います。
それで正直者の私は馬鹿でしょうかね?もちろん、騙されたんだから馬鹿だと思いますよ。でも、それがきっかけで多くの友人が救いの手を差し伸べてくれたことは事実です。仮に私が正直でなかったら、無担保でお金を貸してくれなかったでしょう。そして富豪も援助してくれなかったと思います。
こういうことがあって、高い授業料を払い学ぶから、次は騙されないのです。そして少しですがね、利口になるんだと思いますよ。
最近は、おかしなことがあると、裏を取りますね。どうもつじつまが合わないことがあると、必ず調査をします。
嘘はバレますからね。「嘘の上塗り」と言う言葉がありますね。嘘をつくとそれがバレないようにするために、さらに上にまた嘘をつかないといけないのです。実に下らないことですけどね。
だったら、最初から正直である方が楽なんですね。「すみません。私が間違っておりました。すみません、私の不徳でした」とね。
正直な人は救われます。そして私自身はそういう人を救ってきました。でもそうでない人は救えないですよ。信用性がないですからね、その場しのぎの対応しかできないんですからね。
それで最近の私はどうかといえば、騙されてあげますね。それはね「あーこの人、そういう生き方しかできないんだ、可哀相にね」と哀れみの気持ちを持つようにします。
そこで、それを攻めても何も変わらないからですね。例えば強盗に遭うとしましょう。戦いますか? お金あげなさい、が私の最近の考え方です。それは、そういうやり方ですかお金を稼ぐことができない哀れな人だからですね。あげればいい。私はお金の別の稼ぎ方を知っているんでね。
まあ、それでも正直であることは難しい。「嘘も方便」と言う言葉がありますからね。すべてを馬鹿正直に済ませることはできないと思いますよ。
そこは自分の器量と常識の範疇において、適度に人を傷つけない、人の信用を失わない、人間関係を壊さない程度という基準で、判断すべきでしょうね。
父
さて、「正直であること」は大事です。まずは自分に正直であること。何をするにも2つの目が見ています。それは自分であり、また神様がどこかで見ているものです。
私は単純な思考回路で、比較的人を簡単に信じてしまうので、すぐに騙されてしまいます。過去にこんなことがありました。
店を開けたときにあるパートナーがいました。もちろん、女性でした。会計を彼女に任せていました。私は数字を見るのが嫌いということでね。
ホンダも宗一郎が現場を仕切り、会計は藤沢がやっていましたよね。そういうのもありと思ったからですね。ここがそもそもの間違いでした。
彼女Jは言葉巧みに私を騙していました。まず、毎月の銀行のステートメントですが、「チェックの盗難が多いので開けないよう。Jが銀行に行って、その前で開けるから」と言っていました。私はそれをしばらく信じていました。
ところがあるときにそれを開けてみると、私の知らない支出があるのです。携帯電話の馬鹿高い請求書とかね。そして問い詰めると「あー、何かの間違いだ」とか言い張りましたね。
それがエスカレートして、不正が沢山あったのでパートナー解消になりましたが、ジョージア政府に売上税を払うということで私がチェックにサインしたものが他に流用されていました。これが2-3回ありましたね。
あと、店の名義でクレジットカードを作ろうとしたこともありました。これは未然に防ぎました。その過程で私は事件に巻き込まれ、店を3ヶ月ほど離れていましたが、その期間の家賃は一切払わず、売り上げ税も払わず、公共料金も払っていない状態でした。おまけにベガスの弁護士に4千ドルを払っていました。何が何なのか分からない感じでしたね。
店のすべての名義は私なのです。すべては私が被らないといけない、結局は大家さんと話をして、店の鍵をもらい、セキュリティ会社に事情を話して、暗証番号を教えてもらって店に入り、鍵を交換してから店を閉めました。そして3週間後に店を再開したのです。
そして未払いのものをすべて払いましたが、当然そんなお金はありませんでした。被害総額は全部で7万ドル近くあったように思いますが。政府の税金を納めないと翌年のアルコールライセンスが更新できません。そういうことで友人からお金を借り、確か2人に4万ドルを借りたと思いますが、借金をすべて清算しました。
お客さんにも相談に行きましたよ。私のことを心配してくれたユダヤ人の富豪ですけどね。彼のところには、こんな感じでもしもお金がショートしたらお願いしますと言い、了承してくれました。
ただし、結果的にはお金を借りることはありませんでした。それがまた彼の信用を得たとも私は判断しています。
彼は私の復帰を祝い、友人ら20人を店に呼んでパーティをしてくれましたね。確か2千ドルぐらいを使ってくれたと思います。
子供の学校の寄付集めのホーム・パーティでも、私に料理を依頼し、労賃だけで800ドル近く頂いたこともあります。後にも先にもこれ以上のお客さんはいません。今はコネチカットに移りましたが、それでもアトランタにビジネスで来るときには必ず寄ってくれ、私の店にお金を落としてくれるのです。奥さんと共に私が1週間に1回出す英語のNewsletterを必ず読んでくれています。このすべては正直であったからだと思いませんか?
さてJが使っていた巧みな手口とは?
1)自分が病気であると言い、その治療でDCの医者に行くので仕事が1週間できないと言ったことがありました。病気ではありませんでした。仮病で単にどこかで遊んでいたのです。
2)自分はケネディ家と交流がある。かつてABCにいてリポーターをしていた。またバンカーであった時期もあると言っていましたが、何の証拠もありませんでした。口は立ちますよ、抜群にね。だから騙されるのです。
3)よく遅刻していましたが、そ都度、「GA400が渋滞でね」と言い訳。時間を1時間も間違えたこともあり、それでも自分がそれを正しいと主張していました。
4)パートナー解消後に聞いた話ですが、自分がガンであるといい、その治療のために毛が抜けていることを示すために頭の毛を剃っていた時期もあるそうです。その理由は?回りの人の同情を買うためですうよね。そこまでやるのかと思いました。
5)身に着けるものはすべて一流でした。ルイヴィトンのサンダルを初めて見ました。車はすべてベンツでした。でもそのベンツ、バンパーが事故か何かで凹んだままでした。それを何年も乗っていました。私にレクサスのLXをプレゼントするとも言っていました。私は断りましたけどね。人は外見や身に着けるもの、乗っている車で簡単に騙されるということを熟知しているんでしょうね。そのくせ、600ドルの個人チェックがバウンスしたこともあります。本当はお金ないのに見せるわけです。
まあ、この人の場合は完全なる人格障害だと思いましたね。これまでそういう言葉すら知らなかったのですが、ネットでしばらく勉強しましたよ。
恐ろしいのは、嘘をついてもそれを自分で嘘だと思っていないことです。すでに自覚症状がないのです。だから、病気なのです。
回りの人は最初のころは信じていたと思いますよ。でもだんだんおかしいことに気づくのです。そして「あー、また始まった」程度にしか受け止めません。
話が少し逸れましたが、正直を語るということは「嘘」を語ることでもあるんでね、そこは分かると思います。
それで正直者の私は馬鹿でしょうかね?もちろん、騙されたんだから馬鹿だと思いますよ。でも、それがきっかけで多くの友人が救いの手を差し伸べてくれたことは事実です。仮に私が正直でなかったら、無担保でお金を貸してくれなかったでしょう。そして富豪も援助してくれなかったと思います。
こういうことがあって、高い授業料を払い学ぶから、次は騙されないのです。そして少しですがね、利口になるんだと思いますよ。
最近は、おかしなことがあると、裏を取りますね。どうもつじつまが合わないことがあると、必ず調査をします。
嘘はバレますからね。「嘘の上塗り」と言う言葉がありますね。嘘をつくとそれがバレないようにするために、さらに上にまた嘘をつかないといけないのです。実に下らないことですけどね。
だったら、最初から正直である方が楽なんですね。「すみません。私が間違っておりました。すみません、私の不徳でした」とね。
正直な人は救われます。そして私自身はそういう人を救ってきました。でもそうでない人は救えないですよ。信用性がないですからね、その場しのぎの対応しかできないんですからね。
それで最近の私はどうかといえば、騙されてあげますね。それはね「あーこの人、そういう生き方しかできないんだ、可哀相にね」と哀れみの気持ちを持つようにします。
そこで、それを攻めても何も変わらないからですね。例えば強盗に遭うとしましょう。戦いますか? お金あげなさい、が私の最近の考え方です。それは、そういうやり方ですかお金を稼ぐことができない哀れな人だからですね。あげればいい。私はお金の別の稼ぎ方を知っているんでね。
まあ、それでも正直であることは難しい。「嘘も方便」と言う言葉がありますからね。すべてを馬鹿正直に済ませることはできないと思いますよ。
そこは自分の器量と常識の範疇において、適度に人を傷つけない、人の信用を失わない、人間関係を壊さない程度という基準で、判断すべきでしょうね。
父
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