父から娘への手紙 14通目 (修正しました)
今回は「本物であれ」ということについて書いてみよう。
たまたま、昨夜デンマークからお客さんが来ていて、常連さんのマイケルが連れてきた女性だったが、彼はGA工科大学の先生で、その女性は招かれてアトランタに来た。そしてマイケルの専門はPatentである。
デンマークということで、コペンハーゲンの人魚の像を見せると、驚いて、「私も本国から、この偽物と本物を持参しました」と言うのである。 まあ、世の中には本物があり偽物があるということ。
こんな例はいかがかな。ビンテージの車を買いに行った。外見を見て気に入り試乗も済ませ、購入してしばらく乗ってみた。
もちろん、手入れもよくした、ビンテージカーだったから。ところがしばらく乗ると馬力が出ない、そしてエンジン音も違うことに気づいた。実はこれはビンテージカーではなく、レプリカだったのだ。
レプリカと本物は外見は同じでも中身が違う。レプリカはあくまでも偽物でしかないということ。 購入先に持っていくと、あっさりとそれを認めたということ。(実在の話ではない)
かつてNYCでダイヤモンドの鑑定士を養成する学校では、どうやって生徒に本物のダイヤと偽物のダイヤを見極めるかを教えるのにたった1つの方法があったという。
それは常に本物しか見せないことだそうな。100回、本物のダイヤモンドを見せれば101回目に偽物を見せたときにすぐに見破ることができるという話。 もちろん、今では科学的な方法で見極めていると思う。
人間だって同じだと思う。本物になるにはどうすれば良いか。常に自分を磨いていくしかない。荒波にもまれ、苦難を経験し、耐え忍び、人間が形成されていく、それはやがて打たれ強い精神になり、器が大きくなり、多少のことにも動じない人格となっていくのであろう。
それには、樹木の成長のごとく年輪が伴う、すなわち人間大人になり、社会で人と交われば本物になっていくのである。
ところが、中身が伴わないのに、外見ばかりが先走りすることがよくある。見た目は立派に見えても中身がないと、それは弱い。それは言葉の端々で分かり、また行動で見て取れるというもの。そういう人に限って中身を磨がいていない。
人はまず外見で判断するから、本物だということで期待をする、すなわち勘違いをしてしまう。ところが時間が経過すると本当の中が見えてくるので、今度は落胆するのである。
本物を見抜く力も大切。これもダイヤモンドと同じで、本物の人を見抜くには、本物の人と付き合い、それを吸収するしかない。
例えば、中途半端な人と付き合えば、自分も中途半端になる可能性が高い。ところがきちんとした人と付き合えば、自分もきちんとしてくるものであろう。
本物になるためには自分で投資しないとダメだと思う。食べ物がまずそう。ジャンクな物を食べているようではダメだな。
例えばアメリカにはいろいろな国の料理があるから勉強がてら食べてみるとかね。 食べることは実に大事なことだが、多くの人が意外とそれに気づいていない。
食べたものが体に入り栄養となりエネルギーになる。ということは食べ物はガソリンに等しい。悪質のガソリンでは車のエンジンは傷んでしまう。良質のガソリンを補給することは大事。
そして脳に肥やしをやる。知識はいくらあっても邪魔にならない。本を読み、ニュースを見て、人と交わり意見の交換をするなど、知識を高めていくこと。
よく賢い人はどんな人とでも話ができるという。それは知識量が豊富で、どんな人にも合わせられる話題を備えているからだそうな。
昔、6-7年前にフィラデルフィア出身のアメリカ人と付き合っていました。連邦政府に務めていました。彼女はBMWの中古に乗っていて大変気にいっていました。確かその前はムスタングだと聞いたことがあります。そのBMWが確か6万マイルとかで定期点検に1千ドル以上かかる、他にも直すところがあり、その費用を払えないようなことを言っていたのです。
私は「高級車はメンテナンスにお金がかかる。そういうお金がないのならシビックにしなさい」と言ったのです。それで憤慨され別れましたがね。
確か、カードの借金もあったはずです。それでも「私は連邦政府に務め、401Kもしています。お金の心配はしていません」と言うのです。
だったら、BMWの修理代ぐらい払えんのかい、このアホ!ですよね。結局、本物ではないと見通したので、別れることにしたのです。
私の話をしよう。日本では寿司職人の経験ゼロ。アメリカに渡ってから覚えた。よく親しい友人には「なんちゃってシェフ」と嫌味を言われたよ。言い返せなかったね、そうだからね。
でも自分で勉強して店を開き、新しい魚をどんどん扱い、それを吸収してある程度の知識も備えるようになった。魚に関しての質問には答えれられるようになっている。そして本まで出すようになったのだから、かなり本物に近づいてきたと思う。
だから、最初は偽物でも、それを本物にすることはできるということを認識して欲しい。そのための努力を行えばの話だがね。苦労もしないで、上辺だけすくって本物になれるわけがない。 父
たまたま、昨夜デンマークからお客さんが来ていて、常連さんのマイケルが連れてきた女性だったが、彼はGA工科大学の先生で、その女性は招かれてアトランタに来た。そしてマイケルの専門はPatentである。
デンマークということで、コペンハーゲンの人魚の像を見せると、驚いて、「私も本国から、この偽物と本物を持参しました」と言うのである。 まあ、世の中には本物があり偽物があるということ。
こんな例はいかがかな。ビンテージの車を買いに行った。外見を見て気に入り試乗も済ませ、購入してしばらく乗ってみた。
もちろん、手入れもよくした、ビンテージカーだったから。ところがしばらく乗ると馬力が出ない、そしてエンジン音も違うことに気づいた。実はこれはビンテージカーではなく、レプリカだったのだ。
レプリカと本物は外見は同じでも中身が違う。レプリカはあくまでも偽物でしかないということ。 購入先に持っていくと、あっさりとそれを認めたということ。(実在の話ではない)
かつてNYCでダイヤモンドの鑑定士を養成する学校では、どうやって生徒に本物のダイヤと偽物のダイヤを見極めるかを教えるのにたった1つの方法があったという。
それは常に本物しか見せないことだそうな。100回、本物のダイヤモンドを見せれば101回目に偽物を見せたときにすぐに見破ることができるという話。 もちろん、今では科学的な方法で見極めていると思う。
人間だって同じだと思う。本物になるにはどうすれば良いか。常に自分を磨いていくしかない。荒波にもまれ、苦難を経験し、耐え忍び、人間が形成されていく、それはやがて打たれ強い精神になり、器が大きくなり、多少のことにも動じない人格となっていくのであろう。
それには、樹木の成長のごとく年輪が伴う、すなわち人間大人になり、社会で人と交われば本物になっていくのである。
ところが、中身が伴わないのに、外見ばかりが先走りすることがよくある。見た目は立派に見えても中身がないと、それは弱い。それは言葉の端々で分かり、また行動で見て取れるというもの。そういう人に限って中身を磨がいていない。
人はまず外見で判断するから、本物だということで期待をする、すなわち勘違いをしてしまう。ところが時間が経過すると本当の中が見えてくるので、今度は落胆するのである。
本物を見抜く力も大切。これもダイヤモンドと同じで、本物の人を見抜くには、本物の人と付き合い、それを吸収するしかない。
例えば、中途半端な人と付き合えば、自分も中途半端になる可能性が高い。ところがきちんとした人と付き合えば、自分もきちんとしてくるものであろう。
本物になるためには自分で投資しないとダメだと思う。食べ物がまずそう。ジャンクな物を食べているようではダメだな。
例えばアメリカにはいろいろな国の料理があるから勉強がてら食べてみるとかね。 食べることは実に大事なことだが、多くの人が意外とそれに気づいていない。
食べたものが体に入り栄養となりエネルギーになる。ということは食べ物はガソリンに等しい。悪質のガソリンでは車のエンジンは傷んでしまう。良質のガソリンを補給することは大事。
そして脳に肥やしをやる。知識はいくらあっても邪魔にならない。本を読み、ニュースを見て、人と交わり意見の交換をするなど、知識を高めていくこと。
よく賢い人はどんな人とでも話ができるという。それは知識量が豊富で、どんな人にも合わせられる話題を備えているからだそうな。
昔、6-7年前にフィラデルフィア出身のアメリカ人と付き合っていました。連邦政府に務めていました。彼女はBMWの中古に乗っていて大変気にいっていました。確かその前はムスタングだと聞いたことがあります。そのBMWが確か6万マイルとかで定期点検に1千ドル以上かかる、他にも直すところがあり、その費用を払えないようなことを言っていたのです。
私は「高級車はメンテナンスにお金がかかる。そういうお金がないのならシビックにしなさい」と言ったのです。それで憤慨され別れましたがね。
確か、カードの借金もあったはずです。それでも「私は連邦政府に務め、401Kもしています。お金の心配はしていません」と言うのです。
だったら、BMWの修理代ぐらい払えんのかい、このアホ!ですよね。結局、本物ではないと見通したので、別れることにしたのです。
私の話をしよう。日本では寿司職人の経験ゼロ。アメリカに渡ってから覚えた。よく親しい友人には「なんちゃってシェフ」と嫌味を言われたよ。言い返せなかったね、そうだからね。
でも自分で勉強して店を開き、新しい魚をどんどん扱い、それを吸収してある程度の知識も備えるようになった。魚に関しての質問には答えれられるようになっている。そして本まで出すようになったのだから、かなり本物に近づいてきたと思う。
だから、最初は偽物でも、それを本物にすることはできるということを認識して欲しい。そのための努力を行えばの話だがね。苦労もしないで、上辺だけすくって本物になれるわけがない。 父
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