人生諦めちゃいかん。やれば何とかなる 2013-1
ということで久々に感動を与えるであろう記事に出会いました。ビジネス戦士の方は特に真剣に読むことですね。
日本の地方都市の中心市街地が空洞化し、衰退している。自動車社会の進展に伴い、各地で郊外に大型ショッピングセンターが建てられたことが原因の1つだと言われる。客をつなぎとめられなかった商店街は、どこもかしこもシャッター通りと化していった。
地方都市にある百貨店も、息絶え絶えの状態である。長引く景気低迷や消費の多様化などの影響で、百貨店そのものに消費者が足を運ばなくなっている。日本百貨店協会の発表によれば、2011年の全国百貨店売上高は6兆1525億円で、15年連続して前年実績を下回っている。実際に、毎年のように地方都市の百貨店が閉店するニュースを耳にする。
山形県酒田市でもその現象が起きていた。
市役所のすぐそばにある中町商店街に、百貨店「清水屋」が開業したのは1978年のことだ。その後、94年にダイエーグループの百貨店運営会社、中合(なかごう:本社福島市)と合併し、「中合清水屋」として営業を続けてきた。
中合清水屋の業績を悪化させた大きな要因は、やはり郊外のショッピングセンターだった。酒田市郊外には、94年に大型ショッピングセンター「ジャスコ(現イオン)酒田南店」が、2001年には「イオンモール三川店」が開業した。いずれも1000台以上の自動車を収容する無料の大駐車場を備えている。
中合清水屋の売り上げは、97年度の53億円をピークに減少の一途をたどった。2010年2月期の売り上げは前年比9.9%減の25億6000万円だった。ピーク時の半分以下である。2005年度以降は毎年赤字だった。
とどめを刺したのはリーマン・ショック後の不況である。2011年1月、中合はついに今後の経営回復の見込みは立たないと判断し、2012年2月いっぱいで営業を終了すると発表した。
デパートは取り壊される。周辺の商店街はシャッター通りと化し、人気のない、うすら寒い中心市街地になる。全国の他の地方都市と同じように・・・。酒田市民は誰もがそう思った。
だが、事態は思わぬ方向へ進んだ。
「百貨店はつぶさない」と立ち上がった人がいた。中合清水屋が入居していたビルの管理会社、マリーン5の社長、成澤五一氏である。成澤氏は「中心市街地を破壊させるわけにはいかない」と、百貨店の営業継続に乗り出した。
2012年2月29日に中合清水屋の営業が終了すると、レジシステムを入れ替え、3月5日に「マリーン5清水屋」としてリニューアルオープンした。以後、徐々に店舗の入れ替えと改装を進め、全店改装を終えた10月3日にグランドオープンした。
百貨店が営業を継続することになり、周辺の商店街は大いに安堵した。だが、どう見ても厳しい経営環境である。全国の地方都市の百貨店がバタバタと店を閉じている。どうして酒田の百貨店だけが客を取り戻せるのだろうか。
マリーン5清水屋はJR酒田駅から徒歩で約15分ほどの距離にある。12月のある金曜日、お昼前に訪れた。デパートに近づいていくと、デパートの正面入り口の前で10人以上の人がずらりと並んでいるのが見えた。
よく見ると、ほとんどが高齢の女性である。どうやら買い物を終えてバスを待っているらしい。地方都市に高齢者が多いのは驚くべきことではない。だが、百貨店にこんなに集まっているのは不思議な光景だ。
入口を入ったところにある休憩用のベンチには、数人の客が腰かけて談笑していた。ある女性が「あら、あなた私とおんなじ年なの。見えないねぇ、あはは」と声をあげて笑っていた。外のベンチでは、高齢の男性たちが「よお、久しぶり」と声をかけ合っていた。平日の午前中は、どうやらこの百貨店が地元の高齢者たちの憩いの場所、集会所となっているらしい。
店内に入ると、店員がにこやかな笑顔で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。惣菜売り場に行くと、おかずを買い求める客でにぎわっている。驚いたのは、5階のレストランゾーンである。「ロアジス」というフランス料理店を覗いてみると、テーブルの席が中高年の女性客で埋まっている。店の前には順番待ちの列ができていた。
社長の話、再生のためにしたことは何かといえば、従業員の考え方と仕事の進め方を変えることです。ここの従業員は、みんな中合清水屋で働いていた人たちです。しかし、それまでのままではダメだというのははっきりしている。だから、考え方と仕事の進め方を変えていくしかありません。
まず従業員にお願いしたのは、コミュニケーションをもっと積極的にとりましょうということです。私は百貨店の仕事でいちばん大事なのは、コミュニケーションだと思っています。
第一に、お客様とのコミュニケーションです。百貨店のいいところは、お客さまと我々が会話して、その中から商品を買っていただけるということです。特にここは地方ですから、従業員とお客様はみんな顔見知りになります。こんなものが入りましたよとか、今度こんなサービスを始めますよとか、顔見知りと会話をして、買い物を楽しんでもらう。それがいちばん大事なんだよ、ということを従業員に伝えました。
あと、うちに欠けていたのは組織内のコミュニケーションです。従業員同士で積極的に情報を交換してほしい、その情報をどんどん上に上げてほしい、ということをみんなにお願いしました。現場の情報がいちばん大切です。その情報をどんどん共有して上に上げましょうと。
コミュニケーションの重要性をずっと言い続けているおかげで、最近はお客様とのコミュニケーション、組織内のコミュニケーションがぐっと良くなりました。
現場はどう変わったかといえば、いろいろなアイデアがどんどん出てくるようになりました。以前は、現場からアイデアが出てくることは一切ありませんでした。本部から送られてくる数字を達成することだけに気を取られていたし、「現場は余計なことをするな」という雰囲気でしたから。
いまは「売り場をこうしたい」「こんな問題点がありました」「こんなクレームがありました」というアイデアや情報がどんどん上に上がってきています。そうした現場の声にはすぐに対応しますから、最近はお客様からのクレームはほとんどありませんね。
仕事の進め方はどのように変えたかといえば、仕事とは常に「プラン」「ドゥ」「シー」「アクション」の実践だということを従業員に伝えました。計画を立てて実行し、反省する。結果が悪ければもう1回計画を立ててやり直す。その繰り返しですよ、ということを伝えました。とても基本的なことだけど、従業員はそういうことをいままで訓練していなかった。
私は従業員に「これをやってはダメだ」とか一切言いません。とにかくやってみましょうと。我々は実践者です。評論家みたいに見ていては何にも始まらない。だからまずやってみる。失敗してもいいんでねえか、と言っています。ただし、事前に相談は必ずしてくださいよ、と。1人で突っ走って、ああ、失敗したじゃ困ります。やる前に、こんなことをやりたいと周りに相談してくれれば、どんどん走ってもらってかまわない、と言っています。
集客の目玉として、フランス料理レストランと大型書店をオープンしましたね。これはどういう狙いだったのか。
地方の百貨店では、食事を目当てにやって来るお客様はほとんどいません。買い物に来たついでに食堂に寄っていくというパターンです。だからたいていは一般食堂が入っています。
でも、私は逆の方向を考えました。百貨店に来たからレストランに入るのではなくて、最初からレストランを目的に来ていただこうと。レストラン目当てで来たお客様が、食事をして帰るときになにか買い物をしてくれればありがたいと考えたんです。
だから、私は庄内一のレストランをつくりたかった。私の知り合いで、太田政宏さんという有名なシェフがいます。昨年、太田さんが、それまでいたレストランを辞めるという話を聞きまして、私はすぐに「新しい百貨店で協力してくれませんか」と話をしました。幸いなことにオーケーをもらうことができ、レストラン「ロアジス」がオープンしました。おかげさまでこれが見事に当たりました。百貨店として大転換をするための起爆剤になったと思っています。
2011年5月には、4階の半分ほどのスペースを使って宮脇書店がオープンしました。庄内でいちばん大きい書店だそうですね。中合清水屋のときは書店はなかったんですね。
衣料品依存の百貨店でしたから。この2キロ圏内に本屋が1軒もなかったんです。以前は周囲に小さな本屋がいくつもあったんですが、いつのまにか郊外の大型店にお客さんを取られてなくなってしまいました
百貨店というのは文化を売る業態です。ですから、百貨店には絶対に本屋が必要だと思っていました。そこで庄内最大の書店をつくろうと決めました。
ここに書店が入って良かった点は、客数が増えたことに加えて、客層が変わったことです。家族連れや子ども、高校生が来てくれるようになりました。百貨店にいろいろな年代層の人が戻ってきたんです。これが、書店ができたことの最大のメリットですね
日本の地方の百貨店や商店街は、郊外のショッピングセンターに客を取られたとか、デフレの影響を受けたとか言いますが、それは言い訳なのか。
たぶん、そうなんだろうと思います。そりゃ郊外に大型店ができたら客は取られます。でも努力すれば、なんかなんでねえかな、と。
他の要因のせいにしていれば楽です。でも私は他のせいにはしていられない。自分たちにできることを自分たちで考え出して、自分たちで実践してみるしかありません。アイデアが浮かんだらまずは実験してみる。結果がよければ拡大してみるし、ダメだったらもういちど計画を立てる。これがとても重要だと思います。
とまあ、少し要約したわけですが、確かに日本の百貨店に将来はないといわれて久しいですね。大手は生き残りをかけて合併したものの、体質そのものはあまり変わっていないように思います。私も流通にいたので分かりますが、百貨店はプライドが高い。「スーパーとは違う」というものですかね。また百貨店の中でも三越や高島屋などの老舗はもう潰れたそごうなどとはレベルが違うような意識がありましたかね。
まあ、そごうなんで無茶苦茶なことをやって巨大店舗主義でのし上がってきただけで中身がなかったわけですけどね。
話を本題に戻すと、意外と大都市よりも地方都市の百貨店の方が生き残りやすいのでは?ですね。商圏が限られていますから、それだけ顧客管理がしやすいわけです。取り込みが簡単ですからね。ネットなどの発達によって、より人間が話さなくなっています。だからこそ話のできる店っていうのは大事になっていくんじゃないですかね。それは寿司屋も同じ、歯医者も同じ、どの営業も同じだと思いますね。
日本の地方都市の中心市街地が空洞化し、衰退している。自動車社会の進展に伴い、各地で郊外に大型ショッピングセンターが建てられたことが原因の1つだと言われる。客をつなぎとめられなかった商店街は、どこもかしこもシャッター通りと化していった。
地方都市にある百貨店も、息絶え絶えの状態である。長引く景気低迷や消費の多様化などの影響で、百貨店そのものに消費者が足を運ばなくなっている。日本百貨店協会の発表によれば、2011年の全国百貨店売上高は6兆1525億円で、15年連続して前年実績を下回っている。実際に、毎年のように地方都市の百貨店が閉店するニュースを耳にする。
山形県酒田市でもその現象が起きていた。
市役所のすぐそばにある中町商店街に、百貨店「清水屋」が開業したのは1978年のことだ。その後、94年にダイエーグループの百貨店運営会社、中合(なかごう:本社福島市)と合併し、「中合清水屋」として営業を続けてきた。
中合清水屋の業績を悪化させた大きな要因は、やはり郊外のショッピングセンターだった。酒田市郊外には、94年に大型ショッピングセンター「ジャスコ(現イオン)酒田南店」が、2001年には「イオンモール三川店」が開業した。いずれも1000台以上の自動車を収容する無料の大駐車場を備えている。
中合清水屋の売り上げは、97年度の53億円をピークに減少の一途をたどった。2010年2月期の売り上げは前年比9.9%減の25億6000万円だった。ピーク時の半分以下である。2005年度以降は毎年赤字だった。
とどめを刺したのはリーマン・ショック後の不況である。2011年1月、中合はついに今後の経営回復の見込みは立たないと判断し、2012年2月いっぱいで営業を終了すると発表した。
デパートは取り壊される。周辺の商店街はシャッター通りと化し、人気のない、うすら寒い中心市街地になる。全国の他の地方都市と同じように・・・。酒田市民は誰もがそう思った。
だが、事態は思わぬ方向へ進んだ。
「百貨店はつぶさない」と立ち上がった人がいた。中合清水屋が入居していたビルの管理会社、マリーン5の社長、成澤五一氏である。成澤氏は「中心市街地を破壊させるわけにはいかない」と、百貨店の営業継続に乗り出した。
2012年2月29日に中合清水屋の営業が終了すると、レジシステムを入れ替え、3月5日に「マリーン5清水屋」としてリニューアルオープンした。以後、徐々に店舗の入れ替えと改装を進め、全店改装を終えた10月3日にグランドオープンした。
百貨店が営業を継続することになり、周辺の商店街は大いに安堵した。だが、どう見ても厳しい経営環境である。全国の地方都市の百貨店がバタバタと店を閉じている。どうして酒田の百貨店だけが客を取り戻せるのだろうか。
マリーン5清水屋はJR酒田駅から徒歩で約15分ほどの距離にある。12月のある金曜日、お昼前に訪れた。デパートに近づいていくと、デパートの正面入り口の前で10人以上の人がずらりと並んでいるのが見えた。
よく見ると、ほとんどが高齢の女性である。どうやら買い物を終えてバスを待っているらしい。地方都市に高齢者が多いのは驚くべきことではない。だが、百貨店にこんなに集まっているのは不思議な光景だ。
入口を入ったところにある休憩用のベンチには、数人の客が腰かけて談笑していた。ある女性が「あら、あなた私とおんなじ年なの。見えないねぇ、あはは」と声をあげて笑っていた。外のベンチでは、高齢の男性たちが「よお、久しぶり」と声をかけ合っていた。平日の午前中は、どうやらこの百貨店が地元の高齢者たちの憩いの場所、集会所となっているらしい。
店内に入ると、店員がにこやかな笑顔で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。惣菜売り場に行くと、おかずを買い求める客でにぎわっている。驚いたのは、5階のレストランゾーンである。「ロアジス」というフランス料理店を覗いてみると、テーブルの席が中高年の女性客で埋まっている。店の前には順番待ちの列ができていた。
社長の話、再生のためにしたことは何かといえば、従業員の考え方と仕事の進め方を変えることです。ここの従業員は、みんな中合清水屋で働いていた人たちです。しかし、それまでのままではダメだというのははっきりしている。だから、考え方と仕事の進め方を変えていくしかありません。
まず従業員にお願いしたのは、コミュニケーションをもっと積極的にとりましょうということです。私は百貨店の仕事でいちばん大事なのは、コミュニケーションだと思っています。
第一に、お客様とのコミュニケーションです。百貨店のいいところは、お客さまと我々が会話して、その中から商品を買っていただけるということです。特にここは地方ですから、従業員とお客様はみんな顔見知りになります。こんなものが入りましたよとか、今度こんなサービスを始めますよとか、顔見知りと会話をして、買い物を楽しんでもらう。それがいちばん大事なんだよ、ということを従業員に伝えました。
あと、うちに欠けていたのは組織内のコミュニケーションです。従業員同士で積極的に情報を交換してほしい、その情報をどんどん上に上げてほしい、ということをみんなにお願いしました。現場の情報がいちばん大切です。その情報をどんどん共有して上に上げましょうと。
コミュニケーションの重要性をずっと言い続けているおかげで、最近はお客様とのコミュニケーション、組織内のコミュニケーションがぐっと良くなりました。
現場はどう変わったかといえば、いろいろなアイデアがどんどん出てくるようになりました。以前は、現場からアイデアが出てくることは一切ありませんでした。本部から送られてくる数字を達成することだけに気を取られていたし、「現場は余計なことをするな」という雰囲気でしたから。
いまは「売り場をこうしたい」「こんな問題点がありました」「こんなクレームがありました」というアイデアや情報がどんどん上に上がってきています。そうした現場の声にはすぐに対応しますから、最近はお客様からのクレームはほとんどありませんね。
仕事の進め方はどのように変えたかといえば、仕事とは常に「プラン」「ドゥ」「シー」「アクション」の実践だということを従業員に伝えました。計画を立てて実行し、反省する。結果が悪ければもう1回計画を立ててやり直す。その繰り返しですよ、ということを伝えました。とても基本的なことだけど、従業員はそういうことをいままで訓練していなかった。
私は従業員に「これをやってはダメだ」とか一切言いません。とにかくやってみましょうと。我々は実践者です。評論家みたいに見ていては何にも始まらない。だからまずやってみる。失敗してもいいんでねえか、と言っています。ただし、事前に相談は必ずしてくださいよ、と。1人で突っ走って、ああ、失敗したじゃ困ります。やる前に、こんなことをやりたいと周りに相談してくれれば、どんどん走ってもらってかまわない、と言っています。
集客の目玉として、フランス料理レストランと大型書店をオープンしましたね。これはどういう狙いだったのか。
地方の百貨店では、食事を目当てにやって来るお客様はほとんどいません。買い物に来たついでに食堂に寄っていくというパターンです。だからたいていは一般食堂が入っています。
でも、私は逆の方向を考えました。百貨店に来たからレストランに入るのではなくて、最初からレストランを目的に来ていただこうと。レストラン目当てで来たお客様が、食事をして帰るときになにか買い物をしてくれればありがたいと考えたんです。
だから、私は庄内一のレストランをつくりたかった。私の知り合いで、太田政宏さんという有名なシェフがいます。昨年、太田さんが、それまでいたレストランを辞めるという話を聞きまして、私はすぐに「新しい百貨店で協力してくれませんか」と話をしました。幸いなことにオーケーをもらうことができ、レストラン「ロアジス」がオープンしました。おかげさまでこれが見事に当たりました。百貨店として大転換をするための起爆剤になったと思っています。
2011年5月には、4階の半分ほどのスペースを使って宮脇書店がオープンしました。庄内でいちばん大きい書店だそうですね。中合清水屋のときは書店はなかったんですね。
衣料品依存の百貨店でしたから。この2キロ圏内に本屋が1軒もなかったんです。以前は周囲に小さな本屋がいくつもあったんですが、いつのまにか郊外の大型店にお客さんを取られてなくなってしまいました
百貨店というのは文化を売る業態です。ですから、百貨店には絶対に本屋が必要だと思っていました。そこで庄内最大の書店をつくろうと決めました。
ここに書店が入って良かった点は、客数が増えたことに加えて、客層が変わったことです。家族連れや子ども、高校生が来てくれるようになりました。百貨店にいろいろな年代層の人が戻ってきたんです。これが、書店ができたことの最大のメリットですね
日本の地方の百貨店や商店街は、郊外のショッピングセンターに客を取られたとか、デフレの影響を受けたとか言いますが、それは言い訳なのか。
たぶん、そうなんだろうと思います。そりゃ郊外に大型店ができたら客は取られます。でも努力すれば、なんかなんでねえかな、と。
他の要因のせいにしていれば楽です。でも私は他のせいにはしていられない。自分たちにできることを自分たちで考え出して、自分たちで実践してみるしかありません。アイデアが浮かんだらまずは実験してみる。結果がよければ拡大してみるし、ダメだったらもういちど計画を立てる。これがとても重要だと思います。
とまあ、少し要約したわけですが、確かに日本の百貨店に将来はないといわれて久しいですね。大手は生き残りをかけて合併したものの、体質そのものはあまり変わっていないように思います。私も流通にいたので分かりますが、百貨店はプライドが高い。「スーパーとは違う」というものですかね。また百貨店の中でも三越や高島屋などの老舗はもう潰れたそごうなどとはレベルが違うような意識がありましたかね。
まあ、そごうなんで無茶苦茶なことをやって巨大店舗主義でのし上がってきただけで中身がなかったわけですけどね。
話を本題に戻すと、意外と大都市よりも地方都市の百貨店の方が生き残りやすいのでは?ですね。商圏が限られていますから、それだけ顧客管理がしやすいわけです。取り込みが簡単ですからね。ネットなどの発達によって、より人間が話さなくなっています。だからこそ話のできる店っていうのは大事になっていくんじゃないですかね。それは寿司屋も同じ、歯医者も同じ、どの営業も同じだと思いますね。
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