吉本新喜劇を掘り下げる

 実は、今日は京都出身のご夫婦とディナーでした。そこには名古屋育ちの方、関東生まれの方もありましたが、こういう話題についていけていなかったような。
 チャーリー浜はかつて「浜裕二」だったと私が言うとOさんはそれを分かっていなかった。それは同じ関西系でも世代の違いです。
 ちなみに、彼が浜裕二からチャーリーに改名したのは、1989年の吉本の東京進出によるもので、そのチャーリーという名前はチャーリーズ エンジェルから来ています。調べたところ浜裕二の師匠はボケの天才、花紀京ですが、吉本には1962年に花紀と共に入団しています。
 そして皆さんが分からなかったのが片岡あや子でした。 彼女はチャンバラトリオの伊吹(ハリセンで打たれる役)の奥さんです。当時は山田スミ子、中山美穂と3人いましたが、今でも現役なのは中山美穂のみです。データを調べましたが、年齢不詳です。
 いろいろ調べてみましたが、当時の吉本にはチーム制がありました。A:木村進/片岡あや子
 B:谷しげる,伴大吾/阿吾十朗/中山美保 C:間寛平/山田スミ子 で3人の女優を分けており、そこに強烈な花紀京 原哲男 岡八郎 桑原和男 平参平 船場太郎 などが加わっていたのです。
 それで、伴大吾が借金地獄で蒸発、淀川吾郎も蒸発しています。次のチーム制はA:木村進/中山美保 B:谷茂/池乃めだか/楠本見江子 C:間寛平/山田スミ子 でしたが、これがA:木村進/室谷信雄/山田スミ子 B:船場太郎/池乃めだか/中山美保 C:間寛平/楠本見江子 へと変わっていくのです。しばらく3チーム制が続いていましたが、京都花月が昭和62年に閉館、2チーム制に移行、俳優の年齢が上がりテンポがずれてきたことなどもあり、人気ががた落ちし、平成元年に全員を解雇、その後若手を入れて再開したのです。

当時の俳優は、木村進、間寛平、室谷信雄が座長でその下に島田一の介、高石太、やなぎ浩二
池乃めだか、中山三吉、浜裕二、由利謙、井上竜夫、泉ひろし、菊池大助、柳井幸多朗、木村明、前田国男、赤川喜久夫、姉川巌、島木譲二、蔵元弘美、畑憲一、武内正和、大塚淑夫、潮恵司、森公平、大橋一博、梶原一弘、うのりういち、山中正、帯谷孝史、佐藤武司、中川一美、竹田京子、南喜代子、園みち子、高勢ぎん子、末成由美、高橋和子、藤里美、浅香秋恵、楠本見江子がおり専科として花紀京 原哲男 岡八郎 桑原和男 平参平 船場太郎 山田スミ子 中山美保がいました。(これが最後の3チーム制のころです)
 
 あのころは良かった! そうですね、30年以上前の話だと思います。

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