週末往来2 フルーガル
フルーガルが流れ、そしてここに勝機があるのでは?
いろいろな記事を読んで、私なりに分析したものです。
新興諸国は今、かつてのコスト競争に加え、創造性の面でも競うようになった。それが世界中の企業に変革をもたらす。
今から30年前、米国の自動車業界の経営者たちは、日本が米国を追い越して世界最大の自動車生産国になったことを知って衝撃を受けた。 彼らは一体何が起きているのかを理解しようと日本を訪れ、より一層の衝撃を受けることになった。日本の成功の秘訣が低賃金労働や補助金ではなく、「リーン生産方式」という呼称でにわかに知られるようになったものにあることが分かったからだ。 在庫を持たないジャストインタイムの看板方式などの生産方式です。
デトロイトが眠っている間に、日本は低賃金経済から脱却し、経営革新の孵卵器に生まれ変わっていた。間もなく世界中の工場は軒並みリーンになり、そうしなかった工場は廃墟と化した。
当時の日本で起きたことは、1世紀前の米国における大量生産の出現と同様、革命と呼ぶにふさわしいものだった。そして今、これに比肩する事態が発展途上国で起きている。
世界経済の重心が新興市場へ移行していること自体は、もはや旧聞に属する。携帯電話を買えば、それはほぼ間違いなく中国製。その携帯で顧客サポートに電話をすれば、かなりの確率でインド人が応対する。過去5年間の年間成長率を見ると、中国は10%以上、インドは8%以上となっている。
だが、こうした数字が示す以上に、実際に起きている変化は大きい。新興諸国はもはや、安価な労働と低コストの知的作業の提供源としての地位に安住していない。各国は自らもまたイノベーションの孵卵器となり、通信から自動車生産、医療に至るまで、様々な業種でブレークスルーを遂げている。 新興諸国は製品を根本的に設計し直し、コストを10%ではなく最大90%も削減する。さらに、西側諸国のライバルよりも、うまく、かつスピーディーに作業をこなせるよう、ビジネスプロセスを丸ごと再設計している。「世界のフラット化」など、もう忘れていい。ビジネスの世界は完全に逆さまになりつつある。
先進諸国は、産業を塗り替えるような飛躍的な発想という面で指導力を失っている。 その背景には、先進諸国の企業が新興国市場での研究開発を増やしているという事情もある。「フォーチュン500」企業は今や、中国に98カ所、インドに63カ所の研究開発拠点を抱えている。
IBMが雇用する従業員数は、米国内より発展途上諸国の方が多い。 だが、もう1つの理由としては、新興国市場の企業と消費者が揃って高付加価値市場にシフトしていることも挙げられる。中国の通信大手、華為は2008年、世界中のどの企業よりも多くの国際特許を申請した。中国の20代の若者は、米国の同世代よりもインターネットを使っている時間が長い。
さらに驚くべきは、新興諸国が、既存製品を劇的に安いコストで製造する能力を高めていることだ。余計な装備を省いた3000ドルの車や300ドルのノートパソコンは、新しい「iPad」ほど刺激的には見えないが、確実に、はるかに大勢の人の生活を一変させる。 この種の進歩――「フルーガル(倹約)イノベーション」と呼ぶ人もいる――は、低賃金労働の搾取という簡単な話ではない(低賃金労働が助けになることは確かだが)。肝心なのは、製品と工程を再設計して不必要なコストを徹底的にカットすることだ。
タタ・モーターズの「ナノ」はコスト削減の工夫を組み合わせて世界最安値を実現し、やはりインドの携帯電話サービス企業、バルティ・エアテルは、競合各社およびサプライヤーとの関係を抜本的に再考し、サービス提供コストを切り下げた。同社はライバル各社と無線基地局を共有し、ネットワーク構築、運用、サポートといった業務をエリクソンやIBMのような専門企業に外注している。
ヘンリー・フォードやトヨタが他産業の変革にも一役買ったのと同じように、発展途上国の起業家は今、分業と規模の経済という古典的な原則を、心臓手術や白内障手術といった驚くべき分野にまで適用し、質を犠牲にせずコストを下げている。
彼らは携帯電話のような新技術を使い、医療から金融に至る広範な分野において、洗練されたサービスを農村部にまで提供している。さらに、技術的な革新とビジネスモデルの革新を結びつけて全く新しい種類のサービスを生み出している。例えばケニアは、携帯電話による送金サービスで世界をリードしている。
こうした状況はすべて、BRICsをはじめとする発展途上国で暮らす数十億の人にとって明らかに朗報だ。かつてはエリートしか使えなかった商品とサービスを、より多くの消費者が利用できるようになる。
世論調査によると、インド人と中国人の90%以上が将来を楽観している。インドの財界人、アナンド・マヒンドラ氏は、自身が将来について思い描く夢を「単に華やかなだけでなく、非常に力強いもの」と表現した。
では、低成長の先進諸国の将来はどうだろうか。新興諸国の企業は今、日本勢が30年前に西側を猛追した時よりも数多くの分野で、より急速に勢力を拡大し、西側のライバル企業を買収している。新興国企業の猛攻は西側の大手企業を動揺させるだろう。各社は一段と厳しさを増す価格競争にさらされるからだ。
また、先進諸国の競争優位に関する前提の多くも覆されるだろう。グローバル化を声高に訴える向きは、最先端のイノベーションは先進諸国が維持し、知的労働は西側諸国にとどまると説いて、西側から製造業の雇用が失われることを正当化してきた。
ところが今、新興諸国はただ単に、イノベーションで優位に立つ先進国の地位に挑戦しているだけではない。彼らが解き放つ低コストで破壊的な革新の波は、先進諸国へと広がるにつれ、多くの産業を根幹から揺るがすことになる。
破壊的なイノベーションが常にそうであるように、こうした変化は現在優位にある者を苦しめる。だが、より安い商品とサービスは、今後長く所得の低成長に苦しむ可能性の高い西側の消費者にとって恩恵になるはずだ。また、ベビーブーム世代が引退し始める前から財政赤字に悩んでいる先進諸国の政府にとっても、朗報になるかもしれない。
フルーガルイノベーションが、米国の医療制度(GDPの17%を費やしている)が経済の残りの部分を窮地に陥れるのを阻止できる可能性も十分ある。規模の経済と範囲の経済を新たなやり方で適用する巧妙な手法があれば、公共部門の生産性を押し上げるかもしれない。
さらに言えば、イノベーションの本質は、革新が革新を呼ぶところにある。新興諸国で起きている革新は、先進諸国の革新を傷つけるよりも、むしろ推し進めるものになるはずだ。
かつて日本が米国から大量生産の手法を学んだように、その後、西側の自動車メーカーは日本のライバルからリーン生産方式という手法を学んだ。そうした先例と同じように、現在の新興諸国の大いなる反攻は、世界中を豊かにしてくれるはずだ。
GEの「Vスキャン」――医師が患者の体内を「見る」ことができる携帯型超音波装置――は中国で開発され、今では豊かな国でも貧しい国でも同様にヒット商品となっている。
アルゼンチン、ブラジル、メキシコで競争力を高めるために「スモールマートストア」という小規模店舗の展開を始めたウォルマートは、このアイデアを米国に逆輸入している。
インドのマヒンドラ・アンド・マヒンドラは米国で、趣味で農業を手がける人々に大量の小型トラクターを販売し、ジョン・ディアを脅かしている。中国のハイアールはエアコンから洗濯機、ワインクーラーに至る幅広い製品分野で、欧米の競合企業より安値で商品を売っている。 ハイアールは業界トップメーカーの半値でワインクーラーを販売しており、発売から2年も経たずに米国市場の60%のシェアを獲得した。 一部の欧米企業は製品開発を行う際に、まず新興市場に目を向けるようになった。紙でできた切手サイズの診断検査機器を開発した新興企業ダイアグノスティックス・フォー・オール(本社マサチューセッツ州)は、そのアイデアを新興国で商品化することにした。恐ろしいほど時間がかかる米国の医療機器の承認プロセスを回避するためだ。
ジョン・ディアがインドでマヒンドラと勝負した時も、小型トラクターで同じことをしなければならなかった。
一方で、グローバリゼーションは欧米企業により多くのツールを持たせている。一部の企業は新興市場にイノベーションセンターを設立している。
例えばペプシコは2010年に、インドにイノベーションセンターを開設した。 また一部の欧米企業は定期的に世界の頭脳集団を物色する。ルノー・日産連合はフランス、インド、日本の技術者に、互いに競ってコスト削減のアイデアを出すよう指示した。この競争ではインド人が勝った。 タタ・ナノは世界を変えなかったかもしれないが、フルーガルイノベーションは世界を変えるだろう。
ということで、時代の流れを読まないといけないですね。世界的には下層が中層に上がるつつある時代で、それらの層を抱える国が今後伸びていくわけです。そうなると、そこに標準を合わせていき、さらにはそれを世界中に売ることができればビジネスは楽なわけです。
日本はガラパゴスと言われるように、特殊性を帯びた国です。その国でその国の人向けに開発そして発売されたものは、他の地域では通用しないものとなっています。
成熟化した1億人を相手にするのか、それとも未成熟の10億人を相手にするのか、と言う問題だと思うのですがね。どちらに利がありますかね?
いろいろな記事を読んで、私なりに分析したものです。
新興諸国は今、かつてのコスト競争に加え、創造性の面でも競うようになった。それが世界中の企業に変革をもたらす。
今から30年前、米国の自動車業界の経営者たちは、日本が米国を追い越して世界最大の自動車生産国になったことを知って衝撃を受けた。 彼らは一体何が起きているのかを理解しようと日本を訪れ、より一層の衝撃を受けることになった。日本の成功の秘訣が低賃金労働や補助金ではなく、「リーン生産方式」という呼称でにわかに知られるようになったものにあることが分かったからだ。 在庫を持たないジャストインタイムの看板方式などの生産方式です。
デトロイトが眠っている間に、日本は低賃金経済から脱却し、経営革新の孵卵器に生まれ変わっていた。間もなく世界中の工場は軒並みリーンになり、そうしなかった工場は廃墟と化した。
当時の日本で起きたことは、1世紀前の米国における大量生産の出現と同様、革命と呼ぶにふさわしいものだった。そして今、これに比肩する事態が発展途上国で起きている。
世界経済の重心が新興市場へ移行していること自体は、もはや旧聞に属する。携帯電話を買えば、それはほぼ間違いなく中国製。その携帯で顧客サポートに電話をすれば、かなりの確率でインド人が応対する。過去5年間の年間成長率を見ると、中国は10%以上、インドは8%以上となっている。
だが、こうした数字が示す以上に、実際に起きている変化は大きい。新興諸国はもはや、安価な労働と低コストの知的作業の提供源としての地位に安住していない。各国は自らもまたイノベーションの孵卵器となり、通信から自動車生産、医療に至るまで、様々な業種でブレークスルーを遂げている。 新興諸国は製品を根本的に設計し直し、コストを10%ではなく最大90%も削減する。さらに、西側諸国のライバルよりも、うまく、かつスピーディーに作業をこなせるよう、ビジネスプロセスを丸ごと再設計している。「世界のフラット化」など、もう忘れていい。ビジネスの世界は完全に逆さまになりつつある。
先進諸国は、産業を塗り替えるような飛躍的な発想という面で指導力を失っている。 その背景には、先進諸国の企業が新興国市場での研究開発を増やしているという事情もある。「フォーチュン500」企業は今や、中国に98カ所、インドに63カ所の研究開発拠点を抱えている。
IBMが雇用する従業員数は、米国内より発展途上諸国の方が多い。 だが、もう1つの理由としては、新興国市場の企業と消費者が揃って高付加価値市場にシフトしていることも挙げられる。中国の通信大手、華為は2008年、世界中のどの企業よりも多くの国際特許を申請した。中国の20代の若者は、米国の同世代よりもインターネットを使っている時間が長い。
さらに驚くべきは、新興諸国が、既存製品を劇的に安いコストで製造する能力を高めていることだ。余計な装備を省いた3000ドルの車や300ドルのノートパソコンは、新しい「iPad」ほど刺激的には見えないが、確実に、はるかに大勢の人の生活を一変させる。 この種の進歩――「フルーガル(倹約)イノベーション」と呼ぶ人もいる――は、低賃金労働の搾取という簡単な話ではない(低賃金労働が助けになることは確かだが)。肝心なのは、製品と工程を再設計して不必要なコストを徹底的にカットすることだ。
タタ・モーターズの「ナノ」はコスト削減の工夫を組み合わせて世界最安値を実現し、やはりインドの携帯電話サービス企業、バルティ・エアテルは、競合各社およびサプライヤーとの関係を抜本的に再考し、サービス提供コストを切り下げた。同社はライバル各社と無線基地局を共有し、ネットワーク構築、運用、サポートといった業務をエリクソンやIBMのような専門企業に外注している。
ヘンリー・フォードやトヨタが他産業の変革にも一役買ったのと同じように、発展途上国の起業家は今、分業と規模の経済という古典的な原則を、心臓手術や白内障手術といった驚くべき分野にまで適用し、質を犠牲にせずコストを下げている。
彼らは携帯電話のような新技術を使い、医療から金融に至る広範な分野において、洗練されたサービスを農村部にまで提供している。さらに、技術的な革新とビジネスモデルの革新を結びつけて全く新しい種類のサービスを生み出している。例えばケニアは、携帯電話による送金サービスで世界をリードしている。
こうした状況はすべて、BRICsをはじめとする発展途上国で暮らす数十億の人にとって明らかに朗報だ。かつてはエリートしか使えなかった商品とサービスを、より多くの消費者が利用できるようになる。
世論調査によると、インド人と中国人の90%以上が将来を楽観している。インドの財界人、アナンド・マヒンドラ氏は、自身が将来について思い描く夢を「単に華やかなだけでなく、非常に力強いもの」と表現した。
では、低成長の先進諸国の将来はどうだろうか。新興諸国の企業は今、日本勢が30年前に西側を猛追した時よりも数多くの分野で、より急速に勢力を拡大し、西側のライバル企業を買収している。新興国企業の猛攻は西側の大手企業を動揺させるだろう。各社は一段と厳しさを増す価格競争にさらされるからだ。
また、先進諸国の競争優位に関する前提の多くも覆されるだろう。グローバル化を声高に訴える向きは、最先端のイノベーションは先進諸国が維持し、知的労働は西側諸国にとどまると説いて、西側から製造業の雇用が失われることを正当化してきた。
ところが今、新興諸国はただ単に、イノベーションで優位に立つ先進国の地位に挑戦しているだけではない。彼らが解き放つ低コストで破壊的な革新の波は、先進諸国へと広がるにつれ、多くの産業を根幹から揺るがすことになる。
破壊的なイノベーションが常にそうであるように、こうした変化は現在優位にある者を苦しめる。だが、より安い商品とサービスは、今後長く所得の低成長に苦しむ可能性の高い西側の消費者にとって恩恵になるはずだ。また、ベビーブーム世代が引退し始める前から財政赤字に悩んでいる先進諸国の政府にとっても、朗報になるかもしれない。
フルーガルイノベーションが、米国の医療制度(GDPの17%を費やしている)が経済の残りの部分を窮地に陥れるのを阻止できる可能性も十分ある。規模の経済と範囲の経済を新たなやり方で適用する巧妙な手法があれば、公共部門の生産性を押し上げるかもしれない。
さらに言えば、イノベーションの本質は、革新が革新を呼ぶところにある。新興諸国で起きている革新は、先進諸国の革新を傷つけるよりも、むしろ推し進めるものになるはずだ。
かつて日本が米国から大量生産の手法を学んだように、その後、西側の自動車メーカーは日本のライバルからリーン生産方式という手法を学んだ。そうした先例と同じように、現在の新興諸国の大いなる反攻は、世界中を豊かにしてくれるはずだ。
アジアの技術者たちは欧米諸国の製品を再考し、不要な装飾をすべて剥ぎ取って作り替えるコスト削減は莫大なものになるため、フルーガルな発想は世界を征服するだろう。
多国籍企業は、新興国で培われ、新興国向けに開発されたアイデアを採用し、欧米諸国で展開し始めている。 自動車用の情報・娯楽端末を製造する米国企業ハーマンは、新興市場向けに「サラス」という名の新システムを開発した。サンスクリット語で柔軟を意味するサラスは従来製品よりシンプルな設計で、その開発にはインドと中国のエンジニアが起用された。2009年にはトヨタがハーマンの顧客になった。GEの「Vスキャン」――医師が患者の体内を「見る」ことができる携帯型超音波装置――は中国で開発され、今では豊かな国でも貧しい国でも同様にヒット商品となっている。
アルゼンチン、ブラジル、メキシコで競争力を高めるために「スモールマートストア」という小規模店舗の展開を始めたウォルマートは、このアイデアを米国に逆輸入している。
欧米企業の間に広がる懸念は、この戦略が高価な技術の既存市場をカニバライズしてしまうことだ。同じ会社が少しシンプルな機器を1000ドルで作っていたとしたら、1万ドルの機器を買うだろうか?
GEは医師の間で安価な心電図の新市場を開拓した。これまで、心電図の装置は病院にしか手が出なかった。欧米企業がフルーガルな製品を売ろうが売るまいが、アジア企業が売れば、欧米は価格競争に突入し、同様のものを売るしかない。インドのマヒンドラ・アンド・マヒンドラは米国で、趣味で農業を手がける人々に大量の小型トラクターを販売し、ジョン・ディアを脅かしている。中国のハイアールはエアコンから洗濯機、ワインクーラーに至る幅広い製品分野で、欧米の競合企業より安値で商品を売っている。 ハイアールは業界トップメーカーの半値でワインクーラーを販売しており、発売から2年も経たずに米国市場の60%のシェアを獲得した。 一部の欧米企業は製品開発を行う際に、まず新興市場に目を向けるようになった。紙でできた切手サイズの診断検査機器を開発した新興企業ダイアグノスティックス・フォー・オール(本社マサチューセッツ州)は、そのアイデアを新興国で商品化することにした。恐ろしいほど時間がかかる米国の医療機器の承認プロセスを回避するためだ。
世界中の起業家は、劇的なコスト削減のアイデアに飛びついている。ある人はは住宅建設を徹底的に見直し、建築費用を15%削減、建設期間を30%短縮したいと考えている。またある人は、患者が病状を抑制するのを支援するために、貧しく高齢の糖尿病患者にショートメッセージを送るシステムの開発に参画した。
こうした動きは確実に加速していくだろう。中産階級が圧迫され、政府が支出を削減する中で、欧米は長期にわたり緊縮が続く運命にある。米国ではおよそ5000万人が医療保険に加入しておらず、6000万人は普通預金口座さえ保有していない。そのような人々は、節約する新しい方法を切に求めている。 欧米では、(少なくとも学費以外のことについて考える時には)フルーガルの精神を重視する大学が増えてきた。サンタクララ大学はフルーガルイノベーション研究所を開設した。スタンフォード大学には「Entrepreneurial Design for Extreme Affordability」というコースがある。 また、ケンブリッジ大学はインクルーシブデザインと呼ばれるプログラムを用意している。オバマ政権には、医療やエネルギー分野の草の根の起業家を支援する目的で社会イノベーション・市民参加局が置かれている。
グローバリゼーションの影響で、欧米企業は金額に対してより多くの価値を提供することを余儀なくされた。米国企業のロジテックは、中国で現地企業の雷柏と競合した時、最高級のワイヤレスマウスを最低価格帯で作らなければならなかった。ジョン・ディアがインドでマヒンドラと勝負した時も、小型トラクターで同じことをしなければならなかった。
一方で、グローバリゼーションは欧米企業により多くのツールを持たせている。一部の企業は新興市場にイノベーションセンターを設立している。
例えばペプシコは2010年に、インドにイノベーションセンターを開設した。 また一部の欧米企業は定期的に世界の頭脳集団を物色する。ルノー・日産連合はフランス、インド、日本の技術者に、互いに競ってコスト削減のアイデアを出すよう指示した。この競争ではインド人が勝った。 タタ・ナノは世界を変えなかったかもしれないが、フルーガルイノベーションは世界を変えるだろう。
ということで、時代の流れを読まないといけないですね。世界的には下層が中層に上がるつつある時代で、それらの層を抱える国が今後伸びていくわけです。そうなると、そこに標準を合わせていき、さらにはそれを世界中に売ることができればビジネスは楽なわけです。
日本はガラパゴスと言われるように、特殊性を帯びた国です。その国でその国の人向けに開発そして発売されたものは、他の地域では通用しないものとなっています。
成熟化した1億人を相手にするのか、それとも未成熟の10億人を相手にするのか、と言う問題だと思うのですがね。どちらに利がありますかね?
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