こみじゅんへ、これがP Hobbsですぞ!
古くは1930年代まで遡るパーカー氏の歴代スコアリングにおいて、カリフォルニア産ワインの【満点100ポイント】は、たった19本しか存在しません(2008.4現在)。生産者で勘定するとさらにわずか11生産者にまで絞り込まれます。そしてそのうちのひとつがこの 『ポール・ホッブス』 です。
ある日父親が買って帰って来た1本のワイン。父はそのワインを紙コップに注ぐと食卓に並べました。その香り、その風味、その味わい…。息子は瞬間にして紙コップに注がれた1杯の葡萄酒に執り付かれ、運命的な出会いを果たしました。彼は後にパーカー満点の史上最高峰のワインを産み出すことになるのですが…その若者こそがポール・ホッブスその人。そして紙コップに注がれたワインは、『シャトー・ディケム』(3度のパーカー100点を獲得するボルドー最高級シャトー)の1962年ものでした。1969年、ポール・ホッブス氏は父を説得して所有していたリンゴ園の樹を全て引っこ抜き、葡萄の樹を代わりに植えました。これがポール・ホッブス氏の長きに渡るワイン道、その始まりでした。
彼は 『ロバート・モンダヴィ』 での調査技師、『オーパス・ワン』 醸造チーム入り(1981にヘッド・エノロジストに任命)、アシスタント・ワインメーカーとしての 『シミ・ワイナリー』 参画(1989年に副社長兼ワインメーカーに)と着実に経験を積んでステップアップを重ねます。その腕前と名は徐々に知れ渡り、遂には 『ピーター・マイケル』 『ルウィス』 『ヴァン・クリフ』 『フィッシャー』 『シャローン』 といったカリフォルニアの錚々たるプレミアム・ワイナリーから続々とコンサルタントのオファーを受けるまでになります。スター・コンサルタントとして天賦の才を如何無く発揮し、多大なる名声を博した彼ですが、しかしその一方で自分でもワイナリーを持ち、自らの名でワインを造りたい…という衝動を抑えることは出来ず、いよいよ1991年に念願となる 『ポール・ホッブス』 設立に至ります。
初年度、彼は感触を確かめるように、シャルドネ、ピノ、カベルネ、3種を全て手造りで、ほんのわずかのみ造り上げました。彼は大地の声が聞こえでもするのでしょうか。テロワールの個性を資質以上に引き出して表現する彼のワイン達はたちまち話題となり、ファースト・ビンテージからスペクテイター、パーカーともに90点オーバーの大台を獲得します。彼がワインを選んだのか、それともワインが彼を選んだのか。ともかくカルト入りまでに擁した時間は、ほんのわずかでした。ワイン誌でのハイスコア、数々の受賞歴、とても書ききれぬほどの賛辞。年を追うごとに着々と「完璧の域」への歩みを続けると、遂に2002ビンテージにて、【究極スコアのパーカー100点】を獲得し、その名声は遂に頂点に達しました。
ビンテージ・品種・価格など、もはや種類を問うことなく、ただその作品に 『ポール・ホッブス』 の名を冠するだけで、ワインは市場から消える運命を辿らされるのです。
1度国内市場を見回してみて下さい。100点銘柄に関わらず、どのビンテージの、どの品種のワインであろうとも、ポール・ホッブスの入手というものは、彼の意図とは無関係に最大の労力を必要とする作品となっていることが一目瞭然で分かりますから。
加州たった11しかないパーカー満点パーフェクト獲得生産者のひとつ、ポール・ホッブス。100点獲得のカベルネ種は言わずもがなですが、ピノ、シャルドネと品種に関わらずどのワインでもむちゃくちゃ旨いです。どのワインでもかまいませんので、是非1本お試し下さい。
■ べクストファー・トカロン (Beckstoffer To Kalon Vineyard)ナパ・ヴァレー随一の大地主として知られるベクストーファー家が所有するトカロン・ヴィンヤードは、ナパ・ヴァレーの中でも最も高い頻度でウルトラプレミアム・ワインを誕生させるオークヴィル西側ヒルサイドに位置しています。ト・カロンから果実を供給される造り手は、極一部のカルト系生産者に限られ、又それが造り手にとっての勲章ともなっています。
こみじゅん、分かりましたか? 私たちの昨夜の会話。 社長にぜひ、飲ませてあげんさい。
ちなみに、我が家のセラーには2006年がありますたい。
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