「できた!」を教えることが大事
連休を利用して日本から、友達が子連れで遊びに来ていますが、その子供が6歳で来年から小学校に上がるようです。一応、ひらがな練習帳のようなものを持ってきているので、「おい、勉強しようぜ」と誘いました。「あ」から「ん」までを書かせるわけですが、なかなか上手くいかない。これは根気がいるようで、数字の勉強に切り替えました。
私は子供がいないので、まったく分かりませんが、数字の1から100まで言えればいいじゃないかと思い、それをスパルタ式で教えていました。古いカレンダーを持ってきて1から30まではすべて言わせ、あとは40-50-60と上げていきます。90の次は100なんですが、これがなかなか覚えられない。100円玉を見せても実感なし。もちろんですね、6歳ですからね。
そして目標として1から20までを徹底して鍛えるように方針転換しました。1から10までは言えるのです。11から20までを大きなカレンダーを持ってきて見せて言わせます。すると詰まりながらも言えるわけですね。
ところが、20から下がっていくと言えないのです。面白いでしょう?それは頭で順番で記憶しているわけだからですね。20の前が19ですが、それが言えない。また順番を崩してランダムに数字を指して言わせると、それも言えない数字が多いのです。
それで言えないときは、また1から始めるわけです。1からスタートすれば、言えるのです。このあたりが実に教えていて興味深いところです。
それで「紙を見て数字を見て覚えなさい。1が最初にあるものはすべてじゅうで始まる。」などと教えていくのです。そして奇数だけを指して、1-3-5-7と言わせる。また偶数だけにして2-4-6-8と言わせる。いろいろなパターンで覚えさせるわけです。
そんなことを2時間もやっていると、こちらも疲れますが、子供も相当疲れるわけです。それで、「できたら水族館行き」の約束が時間切れになったので、「できなかったので、帰ってきてからまた勉強」にしました。
5時間近く水族館で遊んできて、「さあ、勉強するぞ」と言うと、嫌な顔をするわけです。「おい、うそつきになるぞ」で家に帰るとすぐに始めましたが、「今回は1時間だけやろう。そしてできたら5分でも10分でもすぐに終わりにする」で再開したのです。
午前中にやったことがどれだけ記憶に残っているのか? 実は午前中に苦手だった数字はマーカーで手に書いています。11と18、そして100ですね。これも私の1つの作戦なんですけどね。書けば忘れないだろうという単純な考え方ですよ。
そして始めると、また同じように詰まるわけです。1から始めると言えるのに、逆にすると言えない。ただ1回入ったものがありますから、午前中よりは楽でした。そうしているうち、奇数はパス、偶数もパスしました。そして1から20までを数え上げ、20から1まで下ってもすべて言うことができたわけです。
この時間はわずかに20分でした。2階にいた母親を呼び、「褒めてあげなさい、できたんだから。それも1時間の勉強のところが20分でできた。これは素晴らしいことだ」と私は言いました。
昨日は、「お前は馬鹿だ。そんなんじゃ、皆に笑われるぞ」などと、罵倒してやりました。もちろん、できたときには◎を与え褒めもしましたよ。
夕方、レストランに行き、「あとでまた勉強だ」と脅すと、泣き出しました。さすがに、ひどいことをしたとは思いましたが、「たまには泣けばいい」とも言いました。親の躾が甘いので何でも思い通りになると思ってきたんじゃないですかね。怖い大人がいて自分を威圧する。ずっと我慢してきたんでしょう。だからそれが溜まって溢れて爆発したから泣いたわけです。それでも、子供ですから、10分後には普通にしていましたけどね。
結局、何かといえば「できた!」という達成感というか感動を与えることが大事なんじゃないかと思いましてね。あとで「勉強も面白いだろう?」と訊けば「少しね」と返答するわけです。ゲームのようにして覚えさせたんで、それが良かったのかどうか。とにかく、私も「1から20までは覚えさせる」という目標があったんで、それに誠心誠意注ぎ込んだわけです。頭にくることもありますよ、覚えてもすぐに忘れますからね。それでもまた、ゼロに戻って教えていく。そうしていくうちに、「奇数にしてみよう。偶数にしてみよう」といろいろアイデアが浮かんでくるわけです。そしてどうして言えないのかを一緒に考えてみて、そこから工夫して言えるように誘導できたことが、自分でも感動でしたね。
ビジネスとはまったく違いますけどね、1人の子供に数字を教えたという経験は、今後何かで応用できると思うんですけどね。
一応、達成はできましたが、アフターフォローとして、洗面台の鏡に古いカレンダーを切り取って貼ってあります。もちろん1から20までが書かれています。
そして、寝室の天井にも同じような古いカレンダーが貼ってあります。ここまでしつこくやらないと、すぐに忘れますからね。常に見れば忘れないでしょう。
私は子供がいないので、まったく分かりませんが、数字の1から100まで言えればいいじゃないかと思い、それをスパルタ式で教えていました。古いカレンダーを持ってきて1から30まではすべて言わせ、あとは40-50-60と上げていきます。90の次は100なんですが、これがなかなか覚えられない。100円玉を見せても実感なし。もちろんですね、6歳ですからね。
そして目標として1から20までを徹底して鍛えるように方針転換しました。1から10までは言えるのです。11から20までを大きなカレンダーを持ってきて見せて言わせます。すると詰まりながらも言えるわけですね。
ところが、20から下がっていくと言えないのです。面白いでしょう?それは頭で順番で記憶しているわけだからですね。20の前が19ですが、それが言えない。また順番を崩してランダムに数字を指して言わせると、それも言えない数字が多いのです。
それで言えないときは、また1から始めるわけです。1からスタートすれば、言えるのです。このあたりが実に教えていて興味深いところです。
それで「紙を見て数字を見て覚えなさい。1が最初にあるものはすべてじゅうで始まる。」などと教えていくのです。そして奇数だけを指して、1-3-5-7と言わせる。また偶数だけにして2-4-6-8と言わせる。いろいろなパターンで覚えさせるわけです。
そんなことを2時間もやっていると、こちらも疲れますが、子供も相当疲れるわけです。それで、「できたら水族館行き」の約束が時間切れになったので、「できなかったので、帰ってきてからまた勉強」にしました。
5時間近く水族館で遊んできて、「さあ、勉強するぞ」と言うと、嫌な顔をするわけです。「おい、うそつきになるぞ」で家に帰るとすぐに始めましたが、「今回は1時間だけやろう。そしてできたら5分でも10分でもすぐに終わりにする」で再開したのです。
午前中にやったことがどれだけ記憶に残っているのか? 実は午前中に苦手だった数字はマーカーで手に書いています。11と18、そして100ですね。これも私の1つの作戦なんですけどね。書けば忘れないだろうという単純な考え方ですよ。
そして始めると、また同じように詰まるわけです。1から始めると言えるのに、逆にすると言えない。ただ1回入ったものがありますから、午前中よりは楽でした。そうしているうち、奇数はパス、偶数もパスしました。そして1から20までを数え上げ、20から1まで下ってもすべて言うことができたわけです。
この時間はわずかに20分でした。2階にいた母親を呼び、「褒めてあげなさい、できたんだから。それも1時間の勉強のところが20分でできた。これは素晴らしいことだ」と私は言いました。
昨日は、「お前は馬鹿だ。そんなんじゃ、皆に笑われるぞ」などと、罵倒してやりました。もちろん、できたときには◎を与え褒めもしましたよ。
夕方、レストランに行き、「あとでまた勉強だ」と脅すと、泣き出しました。さすがに、ひどいことをしたとは思いましたが、「たまには泣けばいい」とも言いました。親の躾が甘いので何でも思い通りになると思ってきたんじゃないですかね。怖い大人がいて自分を威圧する。ずっと我慢してきたんでしょう。だからそれが溜まって溢れて爆発したから泣いたわけです。それでも、子供ですから、10分後には普通にしていましたけどね。
結局、何かといえば「できた!」という達成感というか感動を与えることが大事なんじゃないかと思いましてね。あとで「勉強も面白いだろう?」と訊けば「少しね」と返答するわけです。ゲームのようにして覚えさせたんで、それが良かったのかどうか。とにかく、私も「1から20までは覚えさせる」という目標があったんで、それに誠心誠意注ぎ込んだわけです。頭にくることもありますよ、覚えてもすぐに忘れますからね。それでもまた、ゼロに戻って教えていく。そうしていくうちに、「奇数にしてみよう。偶数にしてみよう」といろいろアイデアが浮かんでくるわけです。そしてどうして言えないのかを一緒に考えてみて、そこから工夫して言えるように誘導できたことが、自分でも感動でしたね。
ビジネスとはまったく違いますけどね、1人の子供に数字を教えたという経験は、今後何かで応用できると思うんですけどね。
一応、達成はできましたが、アフターフォローとして、洗面台の鏡に古いカレンダーを切り取って貼ってあります。もちろん1から20までが書かれています。
そして、寝室の天井にも同じような古いカレンダーが貼ってあります。ここまでしつこくやらないと、すぐに忘れますからね。常に見れば忘れないでしょう。
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