結構忙しいです 1月11日(木)
Gennaio Undici (Giovedi) Once de Enero (Juees)
わずか1カ月でユーチューブ登録者が100人増えました。驚異の300-400人でした。過去28日の増加数が113人ですからね、始めたことは1週間に3人とかでした。それが今では一晩で10人を超えることもあります。
行くぞメロス! 銀の盾目指して、10万人だそうです。まだ何も見えないですよ。1千人は見えています。ここから本格的に収益化が始まりますが、別にお金目当てではありません。数値目標に向かっているわけです。
これを中野信子さんに言わせると、「承認欲求」というのだそうです。これまで「出世欲」「金銭欲」「性欲」などありましたが、SNSは承認欲求です。これは例えば普通の主婦が料理を作る、それをダンナは何も言わない、美味しいもきれいも言わない。しかしSNSで投稿して、何万人が「いいね、美味しそう」と言ってくれるわけえす。それが快感になるのです。
予想されていたことですが、12月の物価指数が0.3%上がっています。これで年間で3.4%になったわけです。
為替は動いています、145.96円で、大方の予想を裏切りつつあります。ゴールドは理解できます、2034ドル、上がる理由がない。原油は72.49ドル、こちらは中東次第です。10年物国債は4.04%となっています。昨日上げたNY株ですが、アジアも上げ、欧州も上げていますが、このインフレ数字で、プリマーケットのNYは下げています。
肥満の薬系が好調です。Eli Lillyは今日も上げて634ドルになっています。Novo Nordiskは昨日108ドルまで上げていましたが、今日は107.86ドルと気持ち下げています。
快晴ですけどね、寒いですよ。
今日はめずらしく60度、明日は58度です。
そして明日は90%の降水確率です。
日曜日の34-50度は悪くないかもです。
こんな記事がありましてね。JBPressにあります。
集英社の中村信一郎さん(故人)は「週刊プレイボーイ」や「BART」など男性誌で活躍された記者、編集者であるとともに、私にとっては「さよなら、サイレント・ネイビー」で開高健賞をもらった際の担当編集者でもあり、大変にお世話になった恩人です。 その中村さんが生前、しばしば「絶対にゆるせねぇ」と言っていたのが「ダウンタウンのいじめを売る商法」でした。 1990年代、とある取材で中村さんはこんな光景を見たと話しておられました。 ある地域の中学で、男の子はほぼ全員、ダウンタウンのテレビ番組を見ていたのだそうです。 タウンタウンの「ギャグ」が毎日の話題で、それについて行けないやつは「シカト」=無視の対象になったり、いじめの対象になったりした。
そのときの「いじめ」の方法が、ダウンタウンのテレビ番組のマネで、松本や浜田が「後輩芸人」にやるのと同じような方法でいじめる、といういじめの再生産が起きていたのだそうです。「なんだ、見てねえのかよ、じゃ教えてやるよ。
具体的な番組名は、うかがいませんでしたが、中学高校の教室に新たな「いじめ」の手法を導入して「ファン」を作り、それを「笑いのつぼ」としてティーンに教え込む「商法」だと中村さんは心底怒っていました。 また、このような「いじめ芸」が繁茂した背景として「言葉狩り」と、芸能界の「先輩絶対」
第1の「ことば狩り」は1993年から96年にかけての、作家・筒井康隆氏の「断筆宣言」がきっかけになったように思います。 一部の表現が差別的だと指摘された筒井氏が切れて「執筆しない!」と「断筆」を宣言。 筒井氏は社会に波紋を及ぼす様々なアクションを起こし、並行して雑誌や新聞、またNHKを筆頭に民放各社のテレビもラジオも、「放送に不適切と考えられる表現」(いわゆる放送禁止用語)を増やしていきました。
この結果、「この言葉は使わないでください」「あの言葉は避けてください」といった「放禁語彙」が増えていき、並行して、「言葉を言わなきゃいいんだろ」式に「アクションが過激」になった時期があった。1990年代のテレビ放送はいまだアナログで、各家庭にホームビデオは普及していましたがVHSのテープが私蔵されるだけで、録音録画後の番組がネットワーク的に流通する、といったことはなかった。 当時のテレビは「撮って出し」などといって、川にゴミを流すのと同じで一瞬オンエアして数字が取れればそれでOK的な「やり逃げ感」満載の粗悪な現場があったのも事実と思います。
「言葉狩り」との影響を懸念するのは、前回稿でも触れた上方落語の鬼才、桂枝雀師(1939-99)の最期です。1997年から「うつ病」が再発、99年に自ら帰らぬ人となってしまいました。 その一つの背景に伝統的な「上方落語」に含まれる「差別表現」があった可能性があるかもしれません。 明治期に基礎ができ、大正後期のラジオ放送開始以降、現在に至るネタが揃ったと考えられる「古典落語」には、「言葉狩り」的な発想はありません。
「アホ」を「アホ」として演じる、江戸なら「与太郎」上方なら「喜六」「清八」「八五郎」といったキャラクターの基本描写には、20世紀末の観点で考えれば「差別的」な表現が決して少なくありません。 枝雀師匠の十八番「代書屋」は古典落語といっても1938年、昭和13年に四代目桂米團治が創作したネタで、枝雀師匠が大成させました。
識字できない人と代書屋とのちぐはぐなやり取りを滑稽に描くもので、「差別的」と見られれば放送に適さないと判断される可能性のある演目にもなっている。 事実、枝雀師はサゲ(オチの部分)など、放送コードにひっかからないよう工夫を凝らして問題を回避した可能性のある変更を幾度も加えています。 しかし、現在では設定そのものが放送には不適切と考えられる可能性があります。
これをアメリカで考えると、いじめで死んだ子の親はダウンタウンやTV局、さらに吉本興業を訴えることができる。そして陪審員制度のアメリカでは被害者よりの判決が出るのは、。莫大な制裁料というか慰謝料が払われるでしょう。禁固刑もありかもです。実に「笑い」が「いじめの道具」に使われたのは確かで、それを分かっていたはずですよ、それでも放置した罪は大きい。こんなのは女性を暴行した以上に大きな問題です。
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