あっさりと1万円割れで、、、。
日経平均が円高を嫌気してあっさりと1万円を割り込んでしまいました。直近の高値10500円から考えると5%近い下落になります。すでに週末金曜日のNY市場で90円を割り込んだため、その地合を引き継いだ格好になりました。
この原因は藤井金融相の「円高容認発言」でした。っこにはG20でガイトナーと会談をして「円高になっても下手な介入はしない」と言ったので、金曜日に90円を割り込んだわけですが、東京では89円の前半です。
当面は、今年1月の最高値87.10円を超えるかどうかですが、可能性は高い。というかすでに、90-85円という新しいボックス圏を形成したともいえます。
アメリカは自国の経済復興のためには何でもやりますから、こうしてドル安にして外国製品を高くして国内製品の競争力を高める。また自国の製造業を復活?させるためにドル安を誘導して貿易赤字を減らそうと本気で考えているのかもしれません。
かつて1960年代にアメリカが本当に輝いていたときには、この製造業が車を中心として頑張っていたのです。そして工場に勤めると家が買え、車が買え、もう少し頑張れば別荘も買えた時代があったのです。それがささやかなアメリカンドリームといわれた時代だったのです。
それが壊れていったのは、70年代のオイルショック後からでしょう。ニクソンが金とドルの交換を辞め、80年代に入ると円高誘導策が取られた。1985年のプラザ合意で円高誘導策が行われました。そこから日系企業のアメリカ進出が本格的に始まったわけですね。懐かしいというか、こういうのを解説できるということは私も年を取ったということですね、まだ50才手前なのに。
当時すでに私の友達はアメリカに住んでいましたが、帰国したときにドルの価値が半分近くになって嘆いていましたが、80円台を考えるとプラザ合意から3分の1です。ドルが紙くずになる日も近づいているのか。
まあ、急激な円高は決して日本にとって良いことではなく、輸出主導型の製造業が多い中、大変だと思います。 これもアメリカの貿易黒字国に対するお願い的脅しでしょう、「ものを作って送ってる場合じゃないだろう、自分のところで消費できるもんを作らんかい」的な発言だと思います。
今週の為替や株の動きが気になりますが、世界銀行のゼーリック総裁が28日にワシントンで開かれる講演で「米国がドル基軸体制を当然視するのは間違いだ。今後ドル基軸以外の選択肢がどんどん出てくる」と指摘することが分かっています。世銀が27日、講演内容の抜粋を公表したものです。ガイトナーは24日、ドルの基軸通貨としての地位を維持する立場を表明。総裁はオバマ政権が経済・金融政策で国際協調路線を堅持するよう求める狙いとみられています。
ゼーリック氏はソ連崩壊、中国やインドの経済成長など過去20年間の経済環境の変化に触れ「この短期間の急激な変化は大きなチャンスだが、同時に20世紀に構築された国際金融システムを動揺させている」と分析。多極化する世界経済の実態を反映させた政治・経済システムをつくる必要性も強調するようです。
日本は鳩山首相がNYタイムズに引用された論文ですでに米国離れを示すようなニュアンスを匂わせています。「基軸通貨ドルによる米国標準のグローバリゼーションが今回の金融危機により破綻した、日本は今後10年以上かけて「アジア共通通貨」の創設をめざす」というものです。ただ国力の落ちていく日本がこれから基軸通貨の仲間入りをするには、かなりのウルトラCが必要で、それよりも中国の元がそうなるほうが自然に思えるのですがね。ただそうなって欲しくはない。
用語解説~プラザ合意とは?
1980年代前半、レーガン政権下のアメリカでは、前政権から引き継いだ高インフレ抑制政策として、厳しい金融引締めを実施していた。金利は2桁に達し、世界中のマネーがアメリカへ集中、ドル相場は高めに推移し、輸出減少と輸入拡大(貿易不均衡)をもたらした。さらに、高金利により民間投資は抑制され、需給バランスが改善した。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、莫大な貿易赤字が計上され、財政赤字も累積していった。
インフレが沈静化した後は金融緩和が進行し、景気回復で貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により『貿易赤字の国』の通貨であるドルへの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定化した。
こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 実質的に円高ドル安に誘導する内容であった。これが『プラザ合意』である。
発表の翌日の1日(24時間)で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。
日本においては、急速な円高による『円高不況』が懸念されたため、低金利政策が継続的に採用された。この低金利政策が、不動産や株式への投機を加速させ、やがてバブル景気をもたらすこととなる。
また、円高により日本経済の規模は相対的に急拡大。「半額セール」とまで言われた米国資産の買い漁りや、海外旅行のブーム、賃金の安い国への工場移転などが相次ぎ、とりわけ東南アジアへの直接投資が急増したことで、「奇跡」とも言われる経済発展を促すことになった。
その後、進みすぎたドル安に歯止めをかけるべく、為替レートの安定化を図るために1987年、再び各国が協調介入することをうたったルーブル合意がなされた。
この原因は藤井金融相の「円高容認発言」でした。っこにはG20でガイトナーと会談をして「円高になっても下手な介入はしない」と言ったので、金曜日に90円を割り込んだわけですが、東京では89円の前半です。
当面は、今年1月の最高値87.10円を超えるかどうかですが、可能性は高い。というかすでに、90-85円という新しいボックス圏を形成したともいえます。
アメリカは自国の経済復興のためには何でもやりますから、こうしてドル安にして外国製品を高くして国内製品の競争力を高める。また自国の製造業を復活?させるためにドル安を誘導して貿易赤字を減らそうと本気で考えているのかもしれません。
かつて1960年代にアメリカが本当に輝いていたときには、この製造業が車を中心として頑張っていたのです。そして工場に勤めると家が買え、車が買え、もう少し頑張れば別荘も買えた時代があったのです。それがささやかなアメリカンドリームといわれた時代だったのです。
それが壊れていったのは、70年代のオイルショック後からでしょう。ニクソンが金とドルの交換を辞め、80年代に入ると円高誘導策が取られた。1985年のプラザ合意で円高誘導策が行われました。そこから日系企業のアメリカ進出が本格的に始まったわけですね。懐かしいというか、こういうのを解説できるということは私も年を取ったということですね、まだ50才手前なのに。
当時すでに私の友達はアメリカに住んでいましたが、帰国したときにドルの価値が半分近くになって嘆いていましたが、80円台を考えるとプラザ合意から3分の1です。ドルが紙くずになる日も近づいているのか。
まあ、急激な円高は決して日本にとって良いことではなく、輸出主導型の製造業が多い中、大変だと思います。 これもアメリカの貿易黒字国に対するお願い的脅しでしょう、「ものを作って送ってる場合じゃないだろう、自分のところで消費できるもんを作らんかい」的な発言だと思います。
今週の為替や株の動きが気になりますが、世界銀行のゼーリック総裁が28日にワシントンで開かれる講演で「米国がドル基軸体制を当然視するのは間違いだ。今後ドル基軸以外の選択肢がどんどん出てくる」と指摘することが分かっています。世銀が27日、講演内容の抜粋を公表したものです。ガイトナーは24日、ドルの基軸通貨としての地位を維持する立場を表明。総裁はオバマ政権が経済・金融政策で国際協調路線を堅持するよう求める狙いとみられています。
ゼーリック氏はソ連崩壊、中国やインドの経済成長など過去20年間の経済環境の変化に触れ「この短期間の急激な変化は大きなチャンスだが、同時に20世紀に構築された国際金融システムを動揺させている」と分析。多極化する世界経済の実態を反映させた政治・経済システムをつくる必要性も強調するようです。
日本は鳩山首相がNYタイムズに引用された論文ですでに米国離れを示すようなニュアンスを匂わせています。「基軸通貨ドルによる米国標準のグローバリゼーションが今回の金融危機により破綻した、日本は今後10年以上かけて「アジア共通通貨」の創設をめざす」というものです。ただ国力の落ちていく日本がこれから基軸通貨の仲間入りをするには、かなりのウルトラCが必要で、それよりも中国の元がそうなるほうが自然に思えるのですがね。ただそうなって欲しくはない。
用語解説~プラザ合意とは?
1980年代前半、レーガン政権下のアメリカでは、前政権から引き継いだ高インフレ抑制政策として、厳しい金融引締めを実施していた。金利は2桁に達し、世界中のマネーがアメリカへ集中、ドル相場は高めに推移し、輸出減少と輸入拡大(貿易不均衡)をもたらした。さらに、高金利により民間投資は抑制され、需給バランスが改善した。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、莫大な貿易赤字が計上され、財政赤字も累積していった。
インフレが沈静化した後は金融緩和が進行し、景気回復で貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により『貿易赤字の国』の通貨であるドルへの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定化した。
こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 実質的に円高ドル安に誘導する内容であった。これが『プラザ合意』である。
発表の翌日の1日(24時間)で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。
日本においては、急速な円高による『円高不況』が懸念されたため、低金利政策が継続的に採用された。この低金利政策が、不動産や株式への投機を加速させ、やがてバブル景気をもたらすこととなる。
また、円高により日本経済の規模は相対的に急拡大。「半額セール」とまで言われた米国資産の買い漁りや、海外旅行のブーム、賃金の安い国への工場移転などが相次ぎ、とりわけ東南アジアへの直接投資が急増したことで、「奇跡」とも言われる経済発展を促すことになった。
その後、進みすぎたドル安に歯止めをかけるべく、為替レートの安定化を図るために1987年、再び各国が協調介入することをうたったルーブル合意がなされた。
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